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ココロオークション『ヘッドフォンミュージック』インタビュー
INTERVIEW[2014.10.03]
ヘッドフォンの向こう側、何越しに聴いても心まで伝えてやるぜ、って。
どんな媒体を通してでも、それを突き抜けて心に刺しに行く、
届けに行く、そういう意味を込めて『ヘッドフォンミュージック』

関西をざわつかせているココロオークション、ミニアルバムをリリース!
2枚目の全国流通盤はバンド史上、最も攻めな姿勢のロックミュージック。
心をふるわす言葉とメロディ、言葉の温度によって色を変える粟子の声、
瑞々しさと老練さ、激しさと優しさが混在する楽曲達、その中心には何があるのか。
しかし中心には何も無い。楽曲の真ん中はリスナーの為の場所だ。
これは彼等から生まれて私達に届く、聴き手によって完成される音楽。
だから気付かないうちにそのスペースに嵌まってしまうんだ。
バンド・ヒストリーから最新作『ヘッドフォンミュージック』まで、じっくりと話を聞いた。
●お一人ずつ、自己紹介をお願いします。ちなみにリーダーは誰なんですか?
大野裕司:リーダー僕です。ココロオークションのベース大野裕司です。25歳、男。僕はこのバンドの中では一番助手席に座ってる時間が長いですね。助手席番長です。自ずとそういう立ち位置なのかなって思います。
粟子真行:後ろだと腰痛めるみたいな。
井川聡:ココロオークションのドラムを担当してます、井川です。26歳。僕はそうですね、特に担当というものは無いんですけど、あえて言うならドジッ子担当ですかね。
粟子:(笑)
井川:基本的に何を言うてもドジをする、僕は空気をスベらせるのが得意ですね。
粟子:不幸担当やんな。エレベーターとか乗っても、彼が乗るタイミングでドア閉まるとか。
井川:なんでも振ってください。僕が見事にスベらせてみせます(笑)。
粟子:ココロオークションのボーカルギター粟子真行です。25歳です。作詞作曲担当です。あとは、なんやろ、ほわっとしてます。まぬけと言うか話がよく飛んだり。あほではないんですけど、ふわふわしてます。ふわふわ担当です。あと、おじいちゃんぽいって言われます。何かお茶とか好き。わらび餅とか。
●はい(笑)。バンドの成り立ちから伺いたいんですけども、元々はどんな風に始まったんですか?
粟子:元々は…。
井川:大野やな。大野が声をかけて。
粟子:ベースの大野君が声をかけてくれて始まりました。いろんな事が重なってるんですけど…僕ら大学の軽音楽部が一緒だったんですけど、引退のタイミングが三年生の秋とかで、就職するかどうかっていう時で、丁度僕が留年とかが決まってて(笑)。
●おお(笑)。
粟子:単位が足りなくて、あと一年多く学校行かなきゃいけなくて(笑)。引退のタイミングで燃え尽き症候群みたいになっちゃってて、その時に「バンドやらへん?」って(大野が)声かけてくれたのもありますし、その…合同ライブみたいなのがあって、他大学との。
井川:他大学、色んな大学の軽音楽部の交流会みたいのがあって、それで一緒にライブをするっていう機会が何度かありまして。それで一番、ココロオークションのきっかけになったライブがあんねんな。
粟子:そうです。
●それが2011年?結成自体はもっと前ですか?
粟子:うーん、その2009年に、サークル引退の時期に神戸のチキンジョージっていうライブハウスで、色んな大学のサークルが集まって合同ライブをしたんですけど、その時に僕は秦基博さんのコピーバンドをやってたんです。ブッキングの方が「君、凄い良い声してるから絶対オリジナルやりなよ」って言われて。丁度「バンドやらへん?」みたいな話もあって、それが決め手になって、ちょっとやってみようかなって。
●大野さんは「バンドやろう」って言うのはどういう感じで?
大野:まあ引退のタイミングだったんで、引退後もバンド演りたいなって思って。サークルの時はずっとコピーバンドばっかり組んでたし、あんまりオリジナルバンドっていうのはやってなかったんで。引退を機に。
粟子:オリジナルやってみたいっていうのもどっかにあって。
●3人ともバラバラに別のコピーバンドやってたんですか?それとも一緒に?
大野:色々ですね。一緒にやったこともありますし、バラバラの時も。とりあえずいっぱいやるサークルだったんで、一つ組んでとかじゃなくて。
粟子:一人が5バンドくらいやるサークルでだったんです。いっぱいやってた。
井川:この面子が固まったのが、さっき言ってたチキンジョージの秦基博のコピーバンドで。
●じゃあ2009年に、オリジナルをやるバンドとして始まって。そこからは?
粟子:初ライブが2010年の、夏?
井川:7月とかだよ。
マネージャー:チキンジョージしか出てなかったんですよ、誰も神戸出身じゃなかったのに。
●ああ(笑)。皆さん出身はどちらでしたっけ?
井川:出身は全員奈良で。
粟子:大学が大阪です。
●で、ライブは神戸に?(笑)。
井川:そうですね、行ってましたね(笑)。
粟子:(笑)大変でした。
●でもチキンジョージがあったから、学外でライブやろうっていう。
井川:そうですね。チキンジョージが無かったらやってないかもね。
粟子:うん。名刺いただいて、電話もかかってきて。
マネージャー:ライブハウスの「出方」が分からなかったみたいで、何も考えずにチキンジョージにしか出てなかったっていう。
粟子:はい。知らなかったですね。
井川:俺達チキンジョージで頑張ってれば行けんじゃね?って思ってました。
大野:だから僕らライブハウスで育ってないんですよ。ライブハウスのなんたるかも知らなかったし。いわゆる地元のライブハウスで頑張ってる先輩バンドに憧れてバンド始めてとかは一切無くて。ずっとサークルの中だけでやってたんで。
マネージャー:だからこの子等メジャーで凄い売れてる人しか知らなかったんですよ。
●じゃあ大学のサークルとチキンジョージだけが音楽の世界だったんですね。
粟子:そうなってしまいますね。CDと(笑)。
●2009年から初ライブまではどんな風な活動を?
井川:ずーっとこもって準備してたよね。
粟子:うん。曲作りとか。でもそんな、一応やろうぜって話はしててスタジオ入ってたけど、なんだかんだで全然曲作ってなかった。でもチキンジョージから電話がかかってきて「早くウチでライブ演ってよ」って。それなら頑張りますって(笑)。2010年の春ぐらいにも出てるんですけどその時はまだコピーバンドで出てました。それ終わってから、春から夏にかけてだだーっと曲を作って7月に初ライブっていう感じですかね。
●はい。当時はどんなバンドにしよう、とか話し合ったり?
粟子:実はあんまり話し合ったことは無い…。
大野:全く無いです。
粟子:未だにちゃんと決めてないと言うか。でも当時は二ヶ月ぐらいスタジオ入って、多分俺らバンプとくるりとスピッツみたいな感じになったら良いよなっていう話はしたかな。でも全然決めずにスタジオ入ってましたね。
井川:最初はそんなスタートでしたね。
●でも一緒にやるって決めたからには好きな音楽の方向が近かったとか?
粟子:それもバラバラ…。
大野:別に、単に仲良かったんです。
井川:仲良かったし、お互いのプレイが好きやったっていうか。俺は粟子の声が凄い好きだったし、大野君のベースも好きだったんで。こいつらとやったらなって感覚だったんですよね。
粟子:せやんな。
大野:うん。
井川:とりあえずこいつらとオリジナルやってみたいなって。
大野:僕もそうですね。そもそもそんなビジョンも無かったので。別に好きなバンドもいるわけじゃなかったし。
●そうなんですね。「ココロオークション」というバンド名はいつ頃から?
粟子:そのライブの直前です。
井川:初ライブの。
粟子:メンバーで紙に書いてきたのを持ち寄って決めました。僕が書いてきた中に「ココロオークション」っていうのがあって、最初は響きが良いねって、一度聞いたら忘れられなさそうだしっていうので決めて。でも響きだけで決めてもな~って色々調べてたら、「オークション」の語源に「競売にかける」っていう意味だけじゃなくて、「価値を高める」っていう意味があって。これや!って思って。僕らの音楽で聴いてくれるお客さんの心の価値を高めれたら良いなって思って。
井川:キタ!って思ったね。
粟子:それでバンド名にしました。あはは(笑)。
●はい。そして初ライブと、その時は何曲くらいあったんですか?
大野:5曲かな。
井川:30分ライブやったっけ?何とか仕上げていってやった5曲。
粟子:『ナゾノクサ』、『虹越え』、『シャバ・アーサナ』、『星空』、『ココロ』。
●今でも演ってる曲ですね。初ライブの後はどんな活動をしてたんですか。
粟子:チキンジョージしか出てなくて。チキンジョージで対バンしたバンドがたまたま大阪でライブしてる同い年くらいのバンドで。やっと同年代の友達出来た!って。2011年から企画ライブに呼んでいただいて。そしたらそこでキーパーソンとなる人物に出会ったと言うか。「Knave」ってトコで演ったんですけど、堤野さんて人に出会って。で、その夜に民やんに会ったんです。
●わはははは(笑)。濃いぃな~。
井川:凄い連続やったなー。
マネージャー(民やん):僕はライブ終わった後ふら~っとKnaveに行ったんですよね。そしたらこのバンド良かったよーって言ってて。
粟子:僕ら見放題の人とかも全く知らなかったんで。見放題って何?ミナミホイールって何?っていう(笑)。
●本当に純粋培養みたいな活動してたんですね(笑)。それで大阪でもライブ演るようになって?
粟子:堤野さんと民やんに出会って、その年に見放題も出て、ミナミホイールも決まって、eo Music Tryで優勝して、っていう感じで。
●おー。だから2011年から本格的に活動開始って事なんですね。
粟子:そう、2010年は書いても中身が無いんです。
大野:2010年も2回くらいしかライブしてないし。
●2011年から色々、動いていって。当時はどんな気持ちでした?
粟子:どんな感じだったかな?でも楽しかったですね、やっぱり。どんどん前に進んで行ってるっていうか、知らない事ばっかりなんで。全部が新しくて凄く楽しかった。
大野:うーん、あんまり覚えてない(笑)。でも、凄く順調やったのは覚えてます。Knaveの堤野さんに出会って、年間スケジュールじゃないけど、やる事を決めて、そういうもんなんやっていうのも知らなかったし。自主企画をここでして、とか。
粟子:めっちゃ思い出すわ(笑)。
大野:このへんでもう1回企画して、ここでCD出そうよみたいな。そういうビジョンみたいなのをやっていって。楽しかったですね(笑)。
粟子:わくわくしたね。
井川:どんどん入ってくる情報が知らんもんばっかりやったんで、僕は若干焦りを覚えてましたね。俺らマジで何も知らんやんって思って。楽しさもありましたけど、個人的には焦りの方が大きかったような気がしますね。