ライブハウス特集 ROCKIN' COMMUNICATION SHINJUKU LOFT
店長 大塚 智昭
SPECIAL[2014.11.08]
音楽を見に行く場所じゃなくて、人と人が出会う場所、何かに出会う場所。
終演した後に共通のバンドを見に来たお客さん同士が
「今日のライブ良かったよね」ってコミュニケーションが取れるような。

歌舞伎町に居を移して今年で15周年になる新宿LOFTがFESを開催。
「SHINJUKU LOFT 15TH ANNIVERSARY LOFT MUSIC & CULTURE FESTIVAL 2014」
来年はLOFT/PLUS ONEが20周年、再来年はLOFTが通算40周年と祝祭が続いていく!
LOFTより「年下」の店長、大塚さんにLOFTのアレコレを聞きました。
●よろしくお願いします。今年はLOFT 15周年なんですよね。まずはLOFTの成り立ちから教えてください。
大塚:はい、歌舞伎町に移転して15年になります。元々は会長の平野悠が、フォーク、ロック、ジャズの聴ける店、『LOFT』っていう、今で言うROCK居酒屋みたいな、レコードを大きな音でかけて呑めるお店っていうので、当時…1975年とかかな?今が38年目なので。そういうお店を作って。お客さんではっぴぃえんどのメンバーとかが飲みに来てたそうです。元々当時は「ライブハウス」っていうコトバは存在して無くて、音楽好きな人達が集まってきて、なんとなくこう、週末に演奏してみたりっていうのが少しずつ、定期的にやるようになって。昼にコーヒー屋さんみたいなカフェやって、夜にライブ演って、深夜居酒屋やる、みたいな。生でライブが観れる、会館とかホールじゃなくて、っていう物の需要が出てきて、じゃあライブが出来る場所を造ろうっていう事で、荻窪、西荻、下北沢、などに2年間の間で4店舗、ライブが出来るロック喫茶みたいな物を作って、最後に1976年に西新宿に、当時国内最大級の大きさのスピーカーとかを入れてライブに特化したお店を作りました。
●黎明期から本当に草分けだったんですね。
大塚:そうですね。まあ、自分はまだ産まれてないんですけど(笑)。
●わはは(笑)。そうですよね。
大塚:そんな感じで自分は聞いてます(笑)。ああ、でも多分ACB(アシベ)の方が長いんですよね。ダンスホールとしてやってたと思うんで。あと、名古屋のE.L.L.も同じ年かな。
●そうなんですね。それで移転問題があって。
大塚:そうですね。それはビルの立ち退き問題で、色んなミュージシャンの人達が協力してくれて、本当は出て行かなくてもよくなったんですけど、結局不景気に、ビルの取り壊しもあって、その間に一時避難場所として下北沢SHELTERを作ったんです。
●ああ、逃げ場所みたいな。
大塚:そうそう。だから「SHELTER」。それから歌舞伎町に移転して、それが1999年ですね。
●確か立ち退きの時にTVで放送されてましたね。生中継?で「来たい奴は遊びに来い」みたいなのを見た覚えが。
大塚:ああ、最後の一ヶ月とかですよね。でも俺、西新宿のLOFT行った事ないんです。
●はい。今はLOFTグループはどんな展開があるんですか?
大塚:今ある店舗は、ライブハウスはLOFTとSHELTER、トーク&ミュージックでカフェスタイルのNAKID LOFTと、トークライブハウスでLOFT/PLUS ONEと阿佐ヶ谷LOFT。あと、4月にLOFT/PLUS ONE WESTっていうのが大阪に出来ました。
●西荻から始まって、色んなところを経て大阪までっていう。
大塚:そこは、聞いた話なんですけど、平野さんが、ライブ…音楽に興味がなくなっちゃって、確か西新宿のLoft以外を当時の店長達に売って「のれんわけ」したんですよね。だから下北にもLOFTってあるんですけど、元々はLOFTの系列で。悠さんがドミニカに日本食のお店を出しに行ったんですけど、その時に西新宿のLOFTだけになってそれで帰ってきて、LOFT/PLUS ONEとか面白いんじゃないかって作って。SHELTERはその移転騒動の時に作って、その後トークとアコースティックライブが出来るようなお店って事でNAKED LOFTが出来て。それと元々LOFTは中央線沿線に作っていたので、中央線回帰みたいな形で阿佐ヶ谷LOFT、最後の挑戦という形で今度大阪に出しました。
●大阪びっくりしますね。
大塚:びっくりしますよね(笑)。何もかも初めてづくしで。俺はそれに関わって無いんで詳しくは分からないですけど、こっちだったら困ったら皆で助けに行けるけど、大阪までは無理じゃないですか(笑)。
※この春オープンした「LOFT/PLUS ONE WEST」、トークライブの模様
●確かに(笑)。そのほかに新宿LOFTとして取り組んでるものはありますか?
大塚:会社としては書籍ですね。LOFT BOOKS、Rooftop作って、最近だと平野悠の本『ロフト35年史戦記』、あとはクレイジーSKBの狂人白書や山口富士夫写真集などを発行します。その他プロダクションでPINKMOONがa flood of circleとWHITE ASHの所属プロダクション、それらのアーティストのインディ盤のCDやライブハウスで活動するロックバンドからジャムバンドなど幅広いアイテムを出すレーベル、そしてネット配信部門でロフトチャンネル。フェス事業部で愛知のRock on the Rockを運営している部署、等があります。
●おー。ずいぶん手広くやってるんですね。
大塚:いや、人数は全然居ないんですけどね(苦笑)。悠さんが凄く好奇心が在る人でアンテナも反応も早い人なんで、Ustreamのライブ配信も一番最初にやったんじゃないかな。
●おー。新宿LOFTの中ってどんな人たちが集まってるんですか?
大塚:スタッフですか?色んな人が居ますけど、ガッツある人が多いと思いますね。やりたい事がある人達なんで、話したら面白いと思いますよ。ただ、西新宿時代の「受付が怖い」とか、そういうイメージを払拭したいので、もしかしたら業務的に見えるかも知れないですけどね。来たお客さん皆が気分を害さないような、気分良くその日を過ごせることを第一に考えてるんで。でも店員は色んな奴が居ます(笑)。総勢だと25~30人くらいかな。
●やっぱり大所帯ですね。
大塚:ああ、ホールだけだったらそんなに人数要らないかもしれないんですけど、カウンターが2ヶ所あるし厨房もあって、後は搬入・搬出の時に歌舞伎町という土地柄、誘導に一人付けてないとというのもあるし。深夜Bar営業もしてますし、人数はやっぱり要りますね。
●はい、LOFTと言えば大きな時計と市松模様のステージですが、あれは何を象徴してるんですか?
大塚:市松模様に関しては、西新宿のLOFTを作った時に、本当は黒一面にしたかったんだけど、あのタイルが足りなくて、
●えええ(笑)
大塚:苦肉の策で白黒の市松模様にしたと聞いています。で、それを施工した人が会長の平野の友人と言うか一緒に店作りをした人なんですけど、その人がそもそも看板屋さんで、あの時計を作ったんです。内装も全部その人がやっていて。大阪のLOFT/PLUS ONE WESTも施工しにいってくれましたね。時計はオブジェとして、西新宿にあったものを今の歌舞伎町に持って来てますね。だから「BOOWY」のステッカーも本人たちが貼ったものですよ。あれが「LOFTと言えば」っていう感じになったから、どの店舗でも時計を入れたんだと思います。
●あのデカさの(笑)。
大塚:そう、え?これ時計なの?って皆に言われる(笑)。
●(笑)。大塚さんはいつからLOFTに?
大塚:歌舞伎町に移転して、4ヶ月目のときですね。
●大塚さんが店長になったのは?
大塚:6、7年前ですね、多分。
●1999年にLOFTに入ったという事で。元々は何をしていた人だったんですか?
大塚:いきさつは、僕は当時Hi-STANDARDというバンドが好きで。確か移転前のLOFTの最後の一ヶ月のイベントでワンマンを演ってたんです。当時絶頂期だったんですけど、「LOFTに育てられてきたから」ってキャパオーバーの中で演って。LOFTが移転した時に、LOFT始まりのCITTA、クアトロ、ZEPP、EAST、BLITZっていうツアーファイナルがあって、それの初日にどうしても行きたくて、チケットが取れなかったので履歴書出しました。
●うはは!(笑)。凄いですね!そういう理由で!
大塚:実話です(笑)。
●下心から始まる(笑)。
大塚:あははは。
●それまでは音楽の仕事とは関係なく?
大塚:あ、その時俺は18歳で東放学園の音響芸術科に通ってました。高校の時には学祭用のコピーバンドとかやってて。友達と集まってライブするのが楽しくて、数組で集まってお金出し合ってイベントやったりしてる内に、やっぱり自分で出るよりも、声を掛け合ってその日一日そこに居るっていうのが楽しいなと思って、企画みたいな仕事できないかなって思って東放に入ったんです。正直、自分の世代的に言うとLOFT神話みたいなのって、俺より40代前後の人とか地方の人達に凄いあると思うんですけど、俺そういうの受けてなくて。何かライブハウスだったら何処でもいいやっていう感じで(笑)探してはいました。
●(笑)LOFTはスンナリ通ったんですか?
大塚:いや、確か「今募集して無いから」って言われて。俺すぐその後にリキッドルームに出したんですよ(笑)。
●行動的ですね(笑)。
大塚:でもリキッドからも連絡は無くて。2週間位したらLOFTから電話があって「空きが出たけど、どう?」って言われて、次の日から働いてましたね。
●おー。ちなみに実際そのライブは見れたんですか?
大塚:見れました!でも面白いのは、当時のLOFTってBOOWYとかARBとかのイメージだったんですけど、入ってみたら店員皆Hi-STANDARD好きで。だからAIR JAMの日とか誰が行く?って(笑)。勿論若手からシフト入れよって(笑)。だから2000の時とか俺AIR JAM行って夜中の遅番入りましたね。
●それは大変(笑)。大塚さんがLOFTに入ってから店長になるまではどんな仕事をしてたんですか?
大塚:最初は警備で、バンドの機材の搬入、お客さんの誘導から、ドリンクカウンターやって、厨房やって、受付やりました。一通り全部やりましたね。舞台だけはやってないです。