ウイイレヤクザ インタビュー
INTERVIEW[2019.11.19]
表現ってそんなもんだと思うんですよ 通じ合うってだけ

フォーク、ブルース、ラップ、様々なジャンルの音楽への造詣をうかがわせつつ、自由な視座からなる歌詞と構成によってそうした裏打ちを簡単に無視させ、時に聴く者を楽しい混乱におとしいれるウイイレヤクザ。シンガーソングライターとしての活動の傍ら、彼はファンクやロックンロールをごった煮にしたような「虎」のバンドマスターも務めている。

折悪しく奇しくもサカナクション『忘れられないの』とほぼ同時に、8cmシングル『ビクトルおじさん』をリリースし、現在セカンドアルバム制作中の彼に、同郷人であり、彼の音楽活動の始点・クークーバードで彼と出会った筆者がインタビューを試みた。ウイイレヤクザ初のインタビュー取材ということもあって、話は音楽の「お」の字もない、彼の幼少期の話題から始まっていく……。
――ウイイレくんの一番古い記憶って何ですか?

一番古い記憶っすかー。一番古い記憶って、俺、夢なんですよね。おばあちゃんちで誕生日パーティーしてるみたいな。何かその夢、けっこう見てたんですよね。

――「同じ夢を繰り返し見る」って言ってましたよね。実際にあってもおかしくなさそうな内容の夢だけど、現実ではないんだ。

同じ夢、けっこう見る。現実の記憶とごっちゃになってんのかもしんないすけど、現実ではない。幼稚園行かないぐらいの頃の夢かな。3歳児教室ってとこに通ってて。

――当時から埼玉に住んでたんでしたっけ? 前橋にいた時期があるって聞いたと思うんだけど。

生まれた時からこの辺(浦和)です。で、幼稚園卒業のタイミングで前橋に転居して、10歳ぐらいでまた戻って来るっていう、けっこうレアケースなんですけど。

――そうなると、友達関係とか大変そうですね。

そうそうそうそう。その時の友達、すっげえ会いたいですね。幼稚園の頃のもそうだし、前橋で10歳ぐらいまで遊んでた友達もそうだし。全然違うと思うから。連絡とりようがないっすからね、連絡網で実家に電話するとかしかないから(笑)。

――小学校高学年で転校するって、難しそう。関係を築くのとか。

まあ、そうっすね。「ハードル高えなー」って思いましたけどね。でも、なんか何とかなりました(笑)。子供の頃からそういうゴチャゴチャゴチャっとしたのを経験したのは、すごいよかったと思いますね。

――考え方が広がった、みたいなことですか?

それもそうだし、自分ではどうにもならないことじゃないですか、転校って。それを経験できたのがいいかな、みたいな。俺、最近常に思うんですけど、「大人ってチョー楽だな」って。大体のこと自分で出来ちゃうじゃないすか、ぶっちゃけ。まあまあまあ、色々あるけど。すごい悲しいこととかあるけど、大体自分の力で出来ちゃうから。どうにもできないことを子供の頃に経験できたのは、すげーいいなって。

――すごい頷ける話です。よく「挫折を知った人間は強い」「苦労体験は大事」って言うけど、今みたいな言い方のほうが適当じゃないかと思う。

俺もそう思う。人生って、自分のものさしでどれだけ進めるかだと思うんですよね。苦労体験とかじゃなくて、そういう自分の力じゃどうにもできないって経験をした方がいいんじゃないかなって。どうしようもなかったら「じゃあどうしよう」って大人は考えるけど、何かその時点で余裕あるじゃないですか。その時点でもう、意外と答えある、みたいな。カッコつけてるだけみたいな。子供はそれすらないから……子供はかわいそうっすね。だから大事にしなきゃいけないと思う。子供いないけど(笑)。

――「苦労した方が強い」「心が折れたことがある方が強い」っていうのは、ピントがずれてますよね。どうしようもないことって、どう生きててもあるじゃん。登ることは出来ても山は動かせない、みたいなことが。

「苦労した方が」とか言っちゃう時点で底が知れますよね。それ言いたいだけだろ、みたいな。男にありがちな感じ。本当あんま、年齢とかって関係ないなって思ってて。最近、自分の親のこととか思うんですけど。前から思ってたんすけど、俺、親より精神年齢上だなって思って(笑)。ちょっと説明しづらいんですけど、精神年齢は、普通の人と比べたらめっちゃ低いと思うんですよ。「うんこ」とかでめっちゃ笑うし。そういうのは低いんだけど、真顔の時は俺けっこう精神年齢高いなって。子供の頃から、自分の親なんだけど考えが透けて見えちゃうこととかあって。それが今の年齢になって、確信になったみたいな。

――親が子供を見る時は目が曇る傾向にあるかもしれないけど、子供が親を見る時って観察的になることの方が多いしね。

当たり前なんですけど、俺と親は全然違う個人なんだなと思いました。やっと人間として見れた、じゃないけど。すごい良いなと思う。こうあるべきだなって。

――この前、ウイイレくんと聴いて面白かったのが、「小学生ぐらいの頃の方が昔を懐かしんでた」って話で。

ああ、そう。今ね、何にも覚えてない(笑)。昨日の夕食も覚えてない、みたいな。

――それは脳機能の問題だよ(笑)。

夕食食わないんだけど、基本(笑)。でも俺、本当思うんだけど、10代の頃の方が感傷的っすよ。そういう年代だし。今は振り返りもしない。どうでもいいんだ、もう(笑)。

――「前橋時代を振り返る」っていうか、小学校・中学校の頃の方がそういう感傷があったんですかね。「あいつら、どうしてるかな」みたいな。

そういう気持ち。何かもう、10代越えると、別の人生ぐらいの感じなんですよね、最早。10代越えるっていうか、16、17、18ぐらい? ハイティーンになるともう別の人生みたいな。18って若いけど、18年ってけっこうな年数じゃないですか。

――そういう話で言うと、「中二病」って良く出来た言葉だなと思うんですよね。バランスを崩したり何かにかぶれたりするのって、確かに14、5歳だなって。

必要なバグっすよね。サナギか、サナギのもうちょい上みたいな。翼が出来始めみたいな。助走とってる時期っすよね。

――その時期のウイイレくんには、音楽をやったり聴き始めたりするキッカケとかあったんですか?

そうかもしんないっすね。「やる」は大学からなんすけど。音楽に興味持ったキッカケが、俺、中学の頃サッカー部だったんですけど、部活の友達の姉ちゃんがすごい音楽に詳しくて。まあ、よくある話なんすけど。その友達が色々音楽教えてくれたって感じですね。最初は何だっけな、 Hi-Standard とか聴いて。でも最初はやっぱ分かんなくて。「速っ」みたいな。

――ウイイレくんが中学の頃ってことは、2004年とか?

2004、5ぐらい。だから、ハイスタはもう流行ってはないですね。友達の姉ちゃんもかぶれてるっていうか、リアルタイムではない。それがキッカケかな。最初はメロコア聴いて、必死にいいとこ探して……。それこそ中二病すけど、人が知らないもんをカッコいいと思えるっていうのがカッコいいなって思ったんですよね、やっぱ。みんな最初はそうだと思うんすけど。それは何か、必要な作業だったなって思います、今にして思えば。大事。自分の知らないもんを知ろうとするっていう。

――いつも話してて、ウイイレくんはメチャクチャな趣味してるって思うんだけど、どういう感じに趣味が枝分かれしていくんですか?

そっからは、自分でCD屋とか行くようになって。その辺(インタビューの収録場所である北浦和)にディスクユニオンもブックオフもあるし。本当、何か直感人間なんで、金もないし100円とかのをジャケ買いとかでバババッて買って、「これいいじゃん」って思ったやつを掬っていく。で、ネットとかで調べて「あっ、これがこれと繋がってんだ」っていうのでまたバーッて調べて、って感じですね。親のパソコンがあったから、それ使って。
ネットって、すげえ奥行きを出したな、って思ってて。前略プロフィール(定型質問に答えるだけで自己紹介ページを作成できるWebサービス。2004年に開設、2016年にサービス終了)ってあったじゃないですか。俺はやってなかったんすけど、友達のとか観るじゃないですか。で、友達の所から、俺はそんなに親しくない奴のとかまで辿ってったりとか。何かすげえショックだったんですよね。普段めっちゃ明るい奴がすげえ暗いブログ書いてたりしたじゃないですか。その時に、人の二面性を初めて垣間見た気がして。「こいつ、こんなこと考えてたんだ」って。

――月には裏側があるんだ、みたいな。

そうそうそうそうそう。それって普通に生活してたら分かんないじゃないすか。仲良くなんなきゃ分かんないし。別に仲良くない奴の「月の裏側」を見れた、みたいな。それがすげえショックで。

――ショックっていうのは、その子にそういう面があるってことに? それとも、そういう風に覗けちゃうことに対して?

もうどっちもっすね。覗けちゃうし、「こういうこと考えてたんだこの子」「見方変わっちゃうよ」みたいな。

――そういえば前に「サッカー部で、スクールカーストが上の奴らともつるんでたし、集団に埋もれがちだけど面白いって奴と遊ぶのも好きだった」みたいなこと言ってましたよね。

そう、俺は中間管理職みたいな感じだったんで。それは良かったですね、どっちも見れたのは。ん~、何かね、俺、中学が一番面白いなって思ってて。高校って、大体同じぐらいのアタマの奴が集まってるじゃないですか。中学は本当に、色々いるんで。その時に自由に動けたのはすごい良かったなと思って。

――浦高(浦和高校。埼玉県でトップクラスの偏差値を誇る)行く子もいれば、「卒業したら親父の仕事継ぎます」みたいな子もいるし。

そっすね。それこそ俺の学校、浦高行く奴とかすごいいたし、さっき言ってくれた通り高校行かないような奴とかもいたんで。すごい面白かったですよね、そういう感じでは。高校は逆にヒマだったっすね。中学のサッカー部の仲間と、サークルみたいな感じでフットサルやったり……それはすげえ面白かったんすけど。社会人と絡んでたりもしたんで。

――ああ、そうでしょうなあ。当時、高校生だけで試合とか大会なんて……。

まあ~、ない。それはすごい面白かったです。そん時の記憶をたどって、ちょっと短編で書き物しようかなって思ってて。普通にブログで書くのってつまんないなと思って。友達の伝手で、ネットプリント出来るミニコミみたいの作ってる人の所に載せてもらえないかなと思ってて。まだ分かんないすけど。