The Cheserasera 『YES』インタビュー
INTERVIEW[2015.12.18]
次の作品は必ず自分達にとって前向きで皆を納得させる物でなければならないと思ってた。
落ち込んでしまった日々をどういう風に前向きにしていくかみたいな。

憂鬱な日々を越えていけ!
スリーピース・ロックバンド、ザ・ケセラセラの2ndミニアルバムは「前向き」になる事を恐れない、全てを肯定していく強い意志を持った作品だ。割り切れない想いと正面から向きあった彼等の情熱がここにある。
バンドヒストリーから新譜『YES』の全曲紹介まで、みっちりお届けする。メンバー全員インタビュー。

●リリースおめでとうございます! 今回は初登場になりますので、バンドの成り立ちから伺っていきたいんですけども、元々はどんな風に始まったんですか?
宍戸 翼:元々は、僕達はそれぞれ別のバンドやってたんです。僕が大学の軽音楽サークルに入ってた時に、2年ちょっとして、やってたバンドが無くなったんですよね。で、その時に美代君もバンドをやってない状態で。2人ともちょうど空いてたので。
●ちょうど(笑)
宍戸:はは(笑)スタジオ入って何かやってみようってやったのが始まりですね。
●元々はどういう知り合いだったんですか?
美代 一貴:宍戸と俺は同じ大学のサークルの先輩後輩みたいな感じだったんですけど、ベースの西田と僕は、小学校からの、
西田 裕作:幼馴染です。
●わー!そうなんですね。知らなかった。
美代:幼馴染なんです(笑)、同じくらいに楽器を始めて。中学生くらいの時、高校くらいからか。で、ずっとバンドやってて、同じバンドでやってたときもあったね、だから。
西田:まあずっと、やったりやらなかったりしてたんで。
●幼馴染、良きも悪きも知ってるみたいな。
宍戸:家族全員の顔分かるって言ってたね。
西田:でも俺、美代の親父はあんまわかんないかもな。
美代:まあ、そういうレベルですよ(笑)でも大体わかる。
西田:美代のお母さんに「バカじゃないの」って言われてるし、美代も俺の父親に怒られてる。
全員:(笑)
●なるほど。で、美代さんと宍戸さんは先輩後輩だったと。それで始まったのが前身バンドを組んだ時期?2009年ですか。
宍戸:そうですね。バンド名が「昼行灯」(ひるあんどん)って名前で、それが前身バンドと呼んでるんですよね。
●この三人で組むってなった時に、どんな音楽をやろう、とか何か話し合いはしたんですか?
宍戸:何にもしてない、ですね。
●じゃあ遊びから始まった?
宍戸:そうですね。盛り上がってやってみようよっていうぐらいの。バンド出来て嬉しいってくらいの感じでしたね。
美代:僕は何かバンドやりたいなって思ってたんですよ。前のバンドを2008年くらいに抜けて、それは西田も一緒にやってたんで2人とも抜けちゃったんですけど、一年くらい…沸々した感じで過ごしてて、何かやろうと思ってたんで。それで色んな人に会ってる期間があったけど何か、しっくりくるものが無くて、気付いたら一年くらい経っちゃった。大学まわりでは何かやるっていうつもりは無かったんですけど、何か良いかって(笑)感じで。
●それで始まったのが昼行灯で、2010年の秋に『The Cheserasera』に改名と。最初はなんで「昼行灯」だったんですか?
宍戸:元を辿ると、西田君が入る前にサークルのベースが一回くらいやってたんですけど、その彼が考えたバンド名だったんです。でも俺その言葉が結構好きだったんで、良いんじゃないって、そのままやってましたね。
●改名したのはどういったタイミングで。
宍戸:何きっかけでしたっけ?
美代:僕が、ちょっとこう、カッコイイ感じの名前と言うか…別に日本語でも良いんですけど…「昼行灯」って、ちょっとネガティブな言葉だったりするんで。西田も入って当初の体制とは全然違うし、僕も当初始めたノリと違ってきて、もっとしっかりじゃないですけど、確立してやっていこうって気分になってたんでしょうね。それで改名どう?って。
宍戸:うん。
●じゃあ遊びから本気になったから改名っていう。
宍戸:そうですね。ずっと、背負っていくことにもなるし。
●誰が考え付いたんですか?
美代:皆で、かな。
西田:いくつか似た言葉が出てきて、響きがこれが良くて。で、ケセラセラ自体はスペイン語でつづりも違うんですけど。
美代:何か、普遍的な名前にしたいっていうのはあったんですよね。で、ケセラセラっていうのも、普遍的な意味をもった言葉だし、凄い良いねって。つづりは英語に変えて、「The ○○」ていうバンド名に僕は憧れがあったりして(笑)「The」つけようよって、この形になりました。
●はい。美代さんと宍戸さんは先輩後輩で、最初お互いの印象は?
美代:最初はまあ、サークルって入ってきたら探りあいみたいな空気がちょっとあるんですよ。この子はどうなんだろう、とか。一年生も「何処に入ろうか」とか選んでるんで。そういう変な牽制みたいな空気があって…サークルって色んな人が集まるんですよね、趣味でやりたい人とか。その中でも彼は高校生からずっとバンドやってるから、俺はちょっと違うみたいな、宿った意思みたいのを感じるタイプでしたね。あ、出来そうだなって。
宍戸:いや、こいてましたね、単純に。ぶっこいてて、俺。
美代:あははは(笑)
宍戸:サークルなんて、みたいになめてかかってて。美代君は割りとサークルのヒーロー的な扱いだったんですけど(笑)、確かに、グアッてなった時の勢いとか凄くて、そこは初めて見ましたね、ドラマーでは。発する感じとか。
●西田さんと宍戸さんはどうでした?
西田:最初のベースの子が抜けて、呼んでもらって、多分…最初は学校のスタジオに入ったんだよね。
宍戸・美代:そうそう。
西田:これ今言うと、自分のバンド褒めてるみたいであれなんですけど、良い声だなと思いました。
宍戸:俺は、強面だなと思いましたね。あんまり喋んない感じなんで。
●ああ、寡黙な雰囲気ありますよね。
宍戸:そう、喋る時は喋るんですけど、何も無ければ全然喋らないし。ベース凄い上手い感じだったんで、寡黙なベーシストだなと思いましたね。
●はい、それで改名後は自主制作で音源作ったり自主イベントしたりと結構活発に動いていて、メジャーが決まって、ですよね。その流れはどんな動きだったんですか?
宍戸:渋谷屋根裏を拠点として、企画打ったりレコ発やったりしていて。それを、今の事務所の、坂田さんていう方が見に来てくれて、それで見つけてもらって、ちょいちょいライブに来てもらえるようになって。ですね。ここへの繋がりは。
●やっぱりメジャー決まった時はうぉっしゃ!みたいな感じでした?
宍戸:何ていうんですかね、メジャーいけたら良いなって漠然と思いながら皆バンドやってると思うんですけど、いざ言われた時に「えっ…?」って感じはありましたね。俺達が?って。勿論嬉しいのもあるし、戸惑った部分もありました。
美代:結構ね、目の前のやることをとにかくやっていくっていう感じで自主制作CD作ったり企画打ってて…それを繰り返してきたら、事務所の人が見に来てくれたりとか、ロッキンオンの賞に入ったりとか。何かビジョンがあってそれを一つ一つクリアしていくっていう感じじゃなくて、目の前のこれをやろうっていうのをやってたら、メジャーの話が現れてきて、わっ感じでしたね。そうじゃない?
宍戸:だから、曲を作ってライブする事しか考えてなかったですよね。でかいビジョンとか道すじ立てて考えてたわけじゃなかったので。不安も凄くありましたね。
西田:僕は…メジャーの人は上手いもんだと思ってるんですけど、メジャーデビューって言われて嬉しいんですけど、それよりももっと、スーパー上手くならないとなって。
宍戸:デビュー決定を聞かされた日は確か渋谷のチェルシーホテルでライブだったんですけど、下のコンビニの前でなんか、小さく乾杯しましたね(笑)
美代:乾杯、したね(笑)
宍戸:勿論なんか、込み上げてくる物もあったんですけど、めっちゃ喜びまくっていいのかも分からず(笑)、泣く…いや、泣くのもちょっとって。頑張んなきゃなっていう。
●はい、フィールドが変わって、変わった事、変わらない事があれば。
美代:どうなんでしょう。活動の仕方はどんどん変わってて、前は単純に3人でこのライブやるやらないって事とか、このCDに何入れるとか、3人で完結してたんですけど、今だったら色んなスタッフさんが関わって色々決めていったりとか、今年一年とか来年の展開とか、戦略的な話もそうですけど、そういう事をやったり考えたりするのが、メジャー前後では違ってる所ですね。どうですか?
西田:うーん、曲をつくるペースとか、作った曲をCDに入れるとかライブでやるとか、そういうタイミングが僕らだけのタイミングではなくなったので、色んな物を加味して考える、そこが一番違うかなと、感じてます。
●宍戸さんは?
宍戸:忙しくなったですね。
美代:そりゃそうだ(笑)
●良い事ですよ(笑)
宍戸:メジャーになってからの時間のスピード感が、もう凄すぎて。ほとんど最初の方の記憶が無いくらい。むしろインディーでやってた時間が短く感じる。曲作ってライブやりたいだけのぼやぼやした(笑)人間だったんですけど、色んな事を意識しだした。
西田:俺ちょっと分かる。今言われて思ったのは、メジャー入って何が変わったって、時間の経つ速度が全然変わったなって。
●密度も変わったんでしょうね。音楽をしていられる時間も増えたと思うし。
宍戸:一番だから困ったのは、歌詞の意味が分からないとか、言われる事が謎過ぎて、俺にとって。うん、何かそう、感覚の部分とかもあるんで。曲の仕様とか、最初は凄く悩みましたね。

●はい。では曲の作り方を教えて下さい。分担はありますか?
西田:作曲はケセラですね。
宍戸:作詞が俺で。
●元々の曲の作り方は?
宍戸:元々は、俺が弾き語りを持ってきたりとか。七割・八割はそのやり方なんですけど。あとはメンバーがメロディとか、このコードが良いよねって、一緒に作ったりとか。で、歌詞はほぼ俺ですけど、書きたいっていって美代君が書いたりとか。
美代:書きたいなと思ったときに、宍戸に「書いて良い?」って。歌うのは宍戸なんで、そこは聞きながら常にやらしてもらったりとか、あとここは書きたいなっていうディスカッションしながら。サードのデモの時は俺が書いたのがいくつか入ってましたね。
●宍戸さんが曲の元を作る時は、どんな時ですか。
宍戸:夜中で、一人ですね。本当に、曲書き始めた頃は絶対に12時は回ってましたね。で、朝までの間。実家だったんで。人の気配がすると全然歌詞が進まないんですよ。何か凄く嫌だな~っと思った事とか、怒った時とかに、ギターを持って何かやってると、纏まってきて…曲、詞として。そういうのが始まりですね。
●ちなみに、真夜中でもギター弾くんですか?
宍戸:あ、だから公園にいってましたね。大きい音でやりたい時は。
●え、家を抜け出して公園で一人で?
宍戸:そうですね。行きましたね、真夜中に。
●ちなみ誰も居なかったら昼間でも曲作ってたかも?
宍戸:いや…昼間はうるさいって言うかガヤガヤしてるんで(笑)なんか、物音がすると気が散るんですよね。公園は、夜だったら良いんですよ。木の音くらいなんで。ああ、だから人が出す音が気になっちゃうんです。恥ずかしいんでしょうね、自分の…言ってる事とかを聞かれるのが。誰にも言わないような事を詞にしたりするんで。だからそういう事なんでしょうね。作ってる時に誰かに聞かれたら嫌なんでしょうね(笑)
●じゃあ、ネガティブな思いから、それを消化させる為に曲を作ってる?
宍戸:そうですね。発散ですよね。…だから詞と曲はある種同時とも言えるかな。
●はい。発散、マイナスな気分を転化させる?
宍戸:最初はそうでしたね。あの、『Drape』をタワーレコード限定で出した時に、凄く一気に間口が広がったって言うか、色んな人に聴いて貰えるようになって、ライブでもそういう事が増えて、何かその…自分の歌詞が共感して貰ったりとかいう事があるんだなってしみじみ思って。そういう所から、どう書いたらより共感して貰えるかなっていうのは考えるようになりました。
●そのタイミングでだったんですね。それまでは自分自身で完了みたいな。
宍戸:そうですね。自己満足ですね完全に(笑)
●話戻しちゃうんですけど、気持ちを音にしていって、歌詞も固めていく?最初の時ってどれくらいの割合まで出来てるもんですか
宍戸:あー…。メロディだけしかなくてスタジオでセッションしてる時もあったから、それを持って帰って歌詞つける時もあったし。
美代:でも結構、演奏はこういうイメージだよなっていうのは固まって持ってる時があるんですよ。弾き語りだけだとしても。デモ作り始めてからそれを具現化させてきたりもするんで、曲によりけりなんですけど、イメージあるもの・無いもの、混在して出してくるっていうイメージですね。
●曲のテーマとか方向性とかはどの辺りまで決めてからバンドに投げるんですか?
宍戸:何かカッコイイなって思ったら投げる。それはメロディだけだとしても、詞もあったとしても、何かカッコイイなって思ったらバンドに持っていってやる感じですね。
●じゃあ自分の中でボツも結構ある?
宍戸:多いですね。それこそよく言いますけど、夜中のテンションで作って朝聞いたら全然ダサいっていうのは。
美代:(笑)
宍戸:昔は特に多くて(笑)