tobaccojuice おおくぼひでたか インタビュー
INTERVIEW[2015.03.18]
昨年4年半振りとなるアルバム『一輪の花と二つの三日月』をリリースしたtobaccojuice。
ギター・おおくぼひでたかには、2年間に亘るバンド活動休止から再開、そして新たな作品を作り出すまでを、ボーカル・松本敏将には、楽曲の話などアルバムのことを中心に話を聞いた。

この作品だけに限ったことではないが、多大な労力を使い思いを込めて作り上げた作品が、リリース時だけしか取り上げられず、そのまま流れていってしまうことに疑問もあり、大分遅いタイミングだが取材させてもらった。
これを機にアルバムを聞いて、ライブへ足を運んでもらえたら嬉しい。

バンドってその人達がいないと成り立たないでしょ?
それがちょっとどうなのかなって思い始めた時ではあったんだよね。
自分が一人で社会に出て、何か出来ないとまずいんじゃないかって。(おおくぼ)

※松本敏将インタビューはこちら
●こういった形でお話するのは久しぶりですね。今回の取材はおおくぼさんには主にバンドのことを、松本さんには新作のことを伺うという形になっています。まずは少し遡りますが、2011年にtobaccojuiceが活動休止したところから、お話を聞かせて頂きたいなと。
おおくぼ:何から話せばいいのかな。
●休止に至ることは皆さんの中では自然な感じだったのですか?
お:理由の発端になったのは岡田が辞めるっていう事だと思う。仕事したいから辞めるって辞めたんだけど。『どこまでも行けるさ』のジャケットを描いている日に、あれってメンバー4人が飛行船に乗っている画があるんだけど、その時に岡田から電話があって「辞めたいんですけど」って。
●ということはリリースより前ってことですよね。
お:そう。別に生活のこともあるし、人生だから、辞めたければ辞めていいよとか言ったんだけど、ここに描いちゃったよって(笑)。
●(笑)。その時からそんな話はあって、それがありつつもリリースはしてツアーもあり。
お:そう。だましだましね。ツアーをやれば岡田の気持ちも変わるんじゃない?ってのもあって。でもツアーの最後の方に「やっぱり辞める」って。その頃ちょうど震災もあって、みんなの心も萎えてたし、もう限界なんだよねって。
●はい。震災の時期、その頃も色んな人のライブを見ていたんですけど、tobaccojuiceに関しては凄くその影響を感じたというか、それぞれに繊細な部分が強く出てしまっていたなと思うんです。
お:なるほどね。バンドの状況もあったし、重なってたから。岡田が抜けるって言ってから、その状態でライブやりたくないっていう意見もあって。本当はスターパインズでワンマンやろうって話もあったんだけど、それも意見が半々に分かれて。
●ツアーがあって、最後は兵庫のフェスでしたものね。そこから活動再開までが2年位?
お:そうだね。
●その期間、メンバーとは会っていたのですか?
お:敏将とは時々二人でライブやったりとか、広介も一緒にライブやったりとかあったけど、岡田とは全く会ってない。
●連絡も取ってない?
お:そうだね。一番広介がバンドの事「今後どうする?」って言ってて、みんなで集まろうよってきっかけになったのも広介で。その前にLiquidの大阪のライブで、俺と敏将が呼ばれて、tobaccojuiceの曲をやったりしたの。LiquidとFULL SWINGが大阪でライブで、俺と敏将が同じ日に大阪でライブだったから、じゃあちょうどいいしってLiquidの中に二人で入って久しぶりにやったりして。
●おおくぼさんはメンバーの中でも一番音楽と離れたところにいたわけじゃないですか。それまでの人生長いこと音楽をやってきて、しかも曲も作ってきて、それが全く音楽に触れない生活になって。その2年はどうだったんですか?
お:めっちゃ充実してた(笑)。
●これ載せていいのかな(笑)。
お:わかんないけど(笑)、充実した男の人生だった。っていうのは、バンドが休止ってなった時、まぁその少し前からだけど、段々歳も30歳後半になってきて、バンドってその人達がいないと成り立たないでしょ?だからいいライブやろうが悪いライブをやろうが、自分がどうであれ、評価って変わってくるじゃない?それがちょっとどうなのかなって思い始めた時ではあったんだよね。
●全部自分の責任でもないし、全部自分の評価にもならないっていう。
お:そうそう。会社勤めでサラリーマンとかでもそうなのかもしれないけど、自分が一人で社会に出て、何か出来ないとまずいんじゃないかって。
●一人の人間としての評価ということですね。
お:そう。それに向き合えたから充実してた。
●きちんと結果も出てましたしね。ぬいぐるみ作家として本を出したり。
お:バンドはもうやらないと思ってたからね。ベースも探さなくちゃいけないし。
●ところが、その脇山さんのきっかけでみんなで会うことになり、そこに岡田さんも来たと。
お:そう。ミーティングってよりは休止前からバンド貯金でご飯食べようって約束だったんで。バンドの先行きの話をするから、とりあえず3人で集まろうってなって、岡田には後に来てもらって。でも久しぶりに対面していきなり「じゃあバンドどうする?」とはならないじゃん。みんな言い出しづらいし(笑)。
●(笑)。
お:で、何も決まらないまま岡田が来て。俺はベースを(柏原)譲さんやキタダさんみたいなプロの人にやってもらえたらと思うんだけどって話をして、岡田もやる気ないだろうからって。それで誰かが「おかぴー、どうなの?」って聞いたら「暇だしやろうかなって」「え?やんの?」って(笑)。
●まさかの(笑)。
お:でもベース以外は機材とかも全部売っちゃってたし、しばらく触ってなかったみたい。
●そうなんですね。大久保さんもその2年はほとんどギター触ってないですか?
お:敏将に呼ばれた時だけ。
●曲も作ったりしてないですか?
お:ライブドローイングみたいな感じで絵描きながら音楽流してたから、その打ち込みの音楽、バンドっていうよりはサントラみたいなのは作ってて。そういう風な音楽の人になるのかなとかも思った。とにかく一人で全部出来ることを追求してた。
●なるほど。それで2013年のサマーソニックから活動再開して、でもアルバムリリースまでは時間がありましたよね。
お:とりあえずやってから考えようって感じだったから。でもやっていくうちに「アルバム作りたいよね」って話になるじゃないですか。そうするとまた始まっちゃうから(笑)。
●(笑)。まだ始まってない感じだったんですか?
お:おれはそう(笑)。再開してからライブやったりしてワンマンやった後に、やっぱり続けられないかもって話はしたんです。結構ぐだぐだだったから。スタジオにも遅れてきたり、だったら俺もとかって遅れてくる奴がいたり。そこには無駄な時間を割きたくなかったから、「来年の活動を考えさせて欲しい」って話をして。それでこういう風にやろうって、みんなで話し合って、そこにはアルバムの制作ってスケジュールになかったんです。でもライブやるんだったら新曲も必要だし、作り始めたらアルバム作るのもいいかもしれないってなって。今回も録ってくれたエンジニアの真田さんとやれるんだったらやりたいなって。そこからは広介が連絡とってくれたりして。