ジョセフ・アルフ・ポルカ『ジョセフ・アルフ・ポルカ』インタビュー
INTERVIEW[2013.10.12]
いまだに、何が答えなのかわからないし、きっちり決められずにふわふわやってるんですけど、
それがいい具合にアルバムに出来たと思います。
何が答えかわからない感じを、あんまり失いたくないですね。

どこにもない、何にも似てない。名古屋を中心に活動する四人組バンド、
ジョセフ・アルフ・ポルカが待望の流通盤ファーストアルバムを2013年7月26日に全国リリース!
バンド結成から今回のアルバム全曲紹介までを網羅した盛りだくさんインタビューです
(結成)
●ジョセフ・アルフ・ポルカ、アルバム発売おめでとうございます。最初はバンドの成り立ちから教えてください。結成のきっかけは大学で、ですか?
てんしんくん(Vo,Key/以下 て):最初のきっかけは西村くんでした。
西村 友輝(Gt/以下 西):僕と木曽くんが大学で同じクラスで、ローミー(原 宏美)とてんしんが同じクラスで。学年は一緒なので、面識はありました。先輩がバンド活動やってるのもあって、楽器は特にやったことないけど、バンドやってみたいな、って話を木曽くんとしてて。
●全員楽器はやったことなかったんですか?
原 宏美(Dr/以下 原):やったことないです。
西:木曽くんだけ唯一、サックスとチューバを吹奏楽でやったことがあって。
●管楽器ですか!
西:でも、ベースもギターも触ったことなくて。でもやってみたいね、でも二人じゃできないよね、って話をしてて。で、学年合同の大きい飲み会があって、二次会でカラオケに行ったんです。その頃には、バスケ部を通じててんしんとはわりと仲良くなってて。
●バスケ部ですか!
原:(笑)
て:僕、何故かバスケ部に入ってて、途中から彼が入ってきて。音楽の話とかも結構趣味があって、仲良くなりました。
西:そうそう。それで、一年生だけの大きい飲み会の二次会でカラオケに行って、そこで初めててんしんが歌うのを聴いたんです。大滝詠一の『スピーチ・バルーン』だったんですけど、今とは比べ物にならないくらいへろへろで。すごかったんですよ。衝撃をうけました。で、カラオケが終わった後に、その場にいなかった木曽くんに、「彼しかいないよ、ボーカルは!」って、それで誘ったんです。
て:「バンドやらない?」ってスカウトされました。
西:自分ら全く楽器できないのに、バンドやらない?って(笑)
●その時にボーカルだけ決まったんですね(笑)
て:バンドらしい最初の活動は、三人で大須にベース買いにいったことだよね。木曽くんが、見た目がベースっぽいから(笑)
西:(笑)
て:ギター持ってるのに、ベースやるからベース買いに行って。で、木曽くんが持ってたギターを渡されて。最初は僕ギター弾こうとしてたんです。
●ギターボーカルですか!
て:全然わからないから、とりあえず教えてもらった指のかたちで弾いたりしてました。サニーデイ・サービスとかやろうとして。
西:色んな人の色んな曲をやろうとして、でもできなくて、を延々繰り返してた。
て:何にも身にならない練習をしてましたね。で、原さんと、もう一人女子が、二人共ドラムがやりたい、って言ってて。
原:私が入ってた踊りのサークルの先輩に、シラオカの一美さんやYOKさんがいたり、先輩バンドでバクがいたりと、そこら辺の人と仲が良かったんです。ドラムに昔から興味があったんですけど、周りにやってる人達がいるから、ちょっと遊びで教えてもらってて。そしたら友達もドラムやりたいっていうので、ひとコマ軽音部のスタジオを借りて、二人で交代でドラム叩いて練習してたら、同じ時期に三人が練習してて。
て:軽音部があって、僕らそこのスタジオで練習してたんです。スタジオがあって、その予約の表に名前を書いたら早いもの勝ちでスタジオが使えて。部費を払えば使える。
西:ローミー達が使ったあとのコマが僕らだったことがあって。
原:三人が、ドラムがいないから、やりにくいな、って言ってきました。
西:ドラムのせいにしてね(笑)
原:全然叩けないけど、エイトビートなら叩ける、って言ったら、サポートって形で叩いてもらえないか、って言われたので、何回か練習に入りました。そしたら、ある日突然三人がお菓子をたくさん持ってきて…
●買収じゃないですか!(笑)
原:私がドラムで、もうひとりの子はキーボードで、バンドやりませんか?って(笑)大学の生協で売ってるお菓子をたくさん持ってきて、入ってください、ってお願いされて(笑)まあまあ、いいでしょう、って入りました(笑)
西:そんなだっけ?
原:なんかもじもじしてたよ。
て:覚えてないなー。
●(笑)最初は五人でやってたんですね。
て:はい。その子はキーボード持ってたので、それでお願いして、僕はギターとボーカルで。大学祭(通称:芸祭)があって、とりあえずそれに向けてやろう、って練習しました。
木曽 浩太(Ba/以下 木):最初のライブからギター弾いてなかったような。
西:グロッケンじゃなかった?
て:そうか、僕がギター弾いたのは最初の練習だけか。その後、二回目の芸祭の時に、一曲のイントロだけ弾いたような気がする。
●それで2007年に結成、という感じですね。
木:そうですね。そのくらいです。

(バンド名)
て:バンド名はその時決まってなくて、でも大学祭に出るので登録する必要があったから、決めようとしたんだけど、皆で会議してもなかなか決められなくて。原さんと僕ともうひとりの子は油絵科で一緒だったから、昼の時間とかにバンド名のこと話し合って。語呂のいい単語とかいっぱい並べて組み合わせたりして、一番しっくりきたのがジョセフ・アルフ・ポルカでした。あとのメンバーには、これに決まったから、ってメールで事後報告だけして(笑)
西:きたきた。その日僕学校休んでたし。
原:アルフは、てんしんがアルフってキャラクターにすごく似てて。鼻が長くて目がつぶらっていう。
木:所ジョージが声やってたやつね。
原:そうそう。まずはそれを入れたくて。ジョセフってなんだっけ。
て:覚えてないけど、いっぱい単語並べてて。そのへんにあるお菓子の名前とか。
原:ポルカはお菓子の名前。
西:リズムの名前っていうのは後から知ったよね。…木曽くんは知ってたよね。
木:(微笑)
て:僕は知らなかった(笑)
西:学校休んでた日もずっと家で考えてたからね。でも、ジョセフ・アルフ・ポルカも、何回か口に出して言ってたら、悪くないな、って。
●語呂っていうか語感がいいんですよね。
て:言いやすさ重視。
木:最初の方にジョセフ・アルフ・ポルカって候補があって、色々考えたけどいいのが出なくて、最終的に前に考えたジョセフに決めたんだよね。イメージが湧きづらい名前にしたかった。バンド名によって、やる音楽性が限定されそうなのは避けたかったんだよね。

(芸祭とシラオカの後輩)
●なるほど。芸祭(愛知県立芸術大学学校祭 通称 芸祭)に出た時はもうオリジナルをやってたんですか?
て:全然曲ができなかった。確か芸祭の一ヶ月くらい前になっても誰も曲を作ってなかったから、僕が勢いで、鉄琴叩いて3~4曲作って用意してきて。それにプラスして、高田渡とヴェルベット・アンダーグラウンドをカバーして。
●すごい選曲だ(笑)
西:カオスだよなー。
て:で、芸祭の一週間くらい前から、朝授業が始まるまでの時間に練習して。
●朝練!すごい。
て:何とかライブにこぎつけました。
西:いわゆる猛練習だったよね。
原:皆朦朧としてた(笑)
て:辛かったよね。バンドって、こんな辛い思いしてやるもんなのか…って思った。
木:(笑)
●芸祭のライブがうまくいったので、バンド活動を継続的にやるようになった感じですか?
て:一旦失速して、あまり活発にはやってなかったです。で、次の年の芸祭がきて。
●またやるぞ、と。
て:はい。二年目の芸祭では全部オリジナルでやりました。とりあえず、その頃はまだ一、二曲しかキーボード弾いてなかったんじゃないかな。まだキーボードの子がいたし。その頃の映像がYouTubeにあがってる。何故か木曽くんが歌ってるやつです。[動画]
で、その年はオリジナルな感じで頑張りました。シラオカの小池さんとか、オウガの出戸くんとかもライブ観てくれてて。その頃から、小池さんに、外のライブハウスでやりなよ、って言われて誘ってもらいました。その頃はシラオカが毎月のように、シラオカまつり、って企画をやってて、それに呼んでもらったのが、ライブハウスでの初ライブ。K.D ハポンでした。[動画] [動画] [動画]
●それが2009年とかですかね。それからちょくちょくライブハウスでライブをするようになった?
て:そうですね。小池さんに誘われて出るのが半年くらい続いて、それで紹介してもらって別のところに出たりとか、シラオカにかなりおんぶにだっこ状態で(笑)
●某ニュースのキャッチコピー、「オウガの後輩」ではなく「シラオカの後輩」って書いた方があってましたね(笑)
全員:(笑)
西:本当にそうですね。
て:シラオカがいなかったら、アルバム出すとかもありえなかったです。OGRE YOU ASSHOLEはもう大学に入った時点で遠い人達だった。一年目でbloodthirsty butchersとツーマンしてたし。たまたま出戸くんが同じ大学にいたからライブ観てくれてたとか、木曽くんが個人的にオウガのジャケを描いたりPVに出てたりしているだけで、バンドとしての繋がりはなくて。

(バンドの意識の変化)
●そうなんですね。ライブハウスに出るようになって、今は廃盤になった最初のCDRを作った?
木:結構早かった。2009年とかだね。
て:とりあえずライブをやるとなったら、CDを作らなきゃ!って思って、早速作って。あと、最初のうちは、本当にシラオカにおんぶにだっこ状態で、ハポンはノルマもないし、比較的気軽にライブが出来ちゃうし、甘えた感じでバンド活動してたんです。あんまりガツガツしてないし、緊張感も薄くて。バンドとして、きちんといい感じになってきたのは、シャムキャッツと結構仲良くなって、東京の人達と対バンするようになってからですね。意識が変わったというか。
木:今でも、そんなにガツガツしてないし、バリバリやってるバンドに比べたら、多少マシになったとはいえ…。
て:でも、最低限のことも前はできてなかったから。
●それって何年くらいですか?
て:木曽くんと一緒にシャムキャッツ観にいって、仲良くなって、それから東京のライブに呼ばれた時に観にきてくれたり…2011年とかですね。
西:それって新小岩?
て:そう。BUSHBASHで。名古屋勢のバンドが色々呼ばれたんです。今だったらめっちゃ人来そうなイベント。僕らに、シラオカに、昆虫キッズに、6EYESに、HADAさんに、ASUNAさんもいたし。
●すごいですね。
西:そこに、菅原くんと藤村くんがいたんだよね。
木:そうだね。シャムキャッツも最初はシラオカ繋がりで知った気がする。やっぱりシラオカ(笑)
西:大恩人だ(笑)

(アルバムを出そう/今までの録音の仕方)
●(笑)でも、ガツガツしてなくて、ずっとふわふわしてる、って言ってましたけど、レコーディングしてアルバムを流通盤で出そう、って今回決まったわけですよね。いつ頃から計画はあったんですか?
て:二年前の年末に、手伝ってくれてるTHISIS(NOT)MAGAZINEの武部さんって人が、何かと、ジョセフアルバム出そうよ、って言ってくれてて。でも、ちゃんと録音してアルバムを出すっていうのを全くやったことがないので、すごい遠い話のように思ってた。
木:具体的にどういう手順を踏んだらCDが出来るのかがわからなくて。
西:うん。
●今までのCDRはどういう感じだったんですか?
木:スタジオにMTRを持っていって、一発録りしたものに、多少後から音を足したりしてました。
て:それが一番最初の四曲入のやつですね。二枚目の『空からやってきた緑の三本指』は、木曽くんのノートパソコンの内蔵マイクで。
●パソコンの内蔵マイク?!
木:ガレージバンドですね。
●ああー。なるほど!
て:それで、シンバルだけ録ったりとかして、どんどん多重録音して。
●そうなんですね…。
木:すごい音いじりまくってます。
て:録音してから半年ぐらいずっといじってたもんね。あれは、イメージ作りというか、こんな音楽がやりたい、っていうのがあやふやな時期に作ってて、結構あのCDを作ることでそれが固まった感じがありました。その時に僕が宅録を覚えたので、ただメロディを作るだけじゃなくて、バンド全体のイメージとかも作れるようになりましたね。
●じゃあ、今回のレコーディングは初めてのことだらけだったんですね。
西:全てが初めてでしたね。

(手伝ってもらう)
て:前のは僕がジャケを描いたし、録音も自分たちでやったけど、今回は流通も手伝ってもらうって決まって。自分たちでやれることには限界があるので、人に手伝ってもらうことを一つのテーマみたいにしてました。録音とかミックスとか、今回は、POP-OFFICEってバンドの島田くんにお願いしてて、その島田くんのフィルターを通した僕らの音、っていうのが大きかったです。今回アートワークで色んな人に参加してもらったのも、バンドが、色んな人にどういうイメージを持たれているのか、それぞれの人のフィルターを通した僕ら、っていうテーマでした。
●なるほど。レコーディングはどんな感じでしたか?
て:スタジオ行っても、何やっていいかわからなかったです。島田くんはバンドマンだけど、PAとかもやってて、宅録も出来て、今までも色んな名古屋のバンドのミックスとかもやってたので、ノウハウがすごいしっかりあって。
木:島田くんは殆どプロデューサー的な役割ですね。アルバムに表記はされてないけど。レコーディングエンジニアと、ミックスと、彼の指示通りにレコーディングしたので(笑)アレンジも一緒に考えてくれて。
●プロデューサーでディレクターでエンジニアで…
て:ほんとそんな感じですね。彼にお願いしたのは、人に頼むのに、なるべく近い人たちというか、今まで出会った人にお願いしたいなと思ってたので。彼の人柄もあるし、音楽的にも理解してくれるだろうな、っていうのがあったのでお願いしました。結果は、思ってた以上にいい方向に進んで。
●そうですね。
て:録音は、二日間で、一日目はバンドでほぼ一発録りでした。ドラムとベースはそれでOK。二日目にそれ以外の、ギターだったり、キーボードだったり、ボーカルとかコーラスとか一日かけて録って。ベースはそれで録音出来たんですけど、それから彼の家でミックスが始まって、気に食わないところを直したり、ゲストのバイオリンを入れたりとか、そういうのをずーっとやってたら、何故か半年以上たってしまって(笑)
木:僕らの作業量と、島田くんの作業量の差がすごいある。島田くんは僕らの何十倍…大晦日にも作業してて。
原:そうそう、やりとりしてた。
て:Dropboxでデータやりとりして、ちょっと口出しして…口出すのも申し訳ないんだけど。彼は、どんどん言ってくださいね、って言ってくれるんですけど。最初にやるにあたって、有名な人とかに頼んだ場合、僕らがあまりに幼稚すぎて、何も言えないんじゃないかと思ってて。島田くんは世代も一緒だし、言いやすいのもあって。それもあって、いい感じに出来たかなと思います。