NOVEL[2018.03.11]
NOWHERE
Vol.04 久喜 cafe couwa

この小説はフィクションであり、登場するミュージシャンも架空のものですが、実在のライブハウスやミュージシャンと無関係ではありません。

 久喜駅の改札を出て左。右と左で迷ったら、「モラージュ菖蒲」への案内を探す。降りるのは終点の菖蒲仲橋だから、目当てのバスは見つけやすい。だけどモラージュ菖蒲は終点の前にあるから、モラージュで折り返す直通バスに乗ってはいけない――友達の教えに従うと、目当てのバスはすぐに見つけられた。
 カフェ・クウワには一度だけ行ったことがあるが、バスで来るのは初めてだ。何年か前の連休に、埼玉の友人の家に泊まった時、「何を食べても美味しいカフェがある」と車で連れていかれた先がクウワだった。お店の存在はその前から、さいたま新都心で催されたトイロック・フェスで知っていた。平賀さち枝を目当てに訪れたそのイベントで、クウワはフードを提供していた。使い捨ての容器に盛られたグリーンカレー、確か五〇〇円。様々なイベントで同じようなものを食べたが、あれを超えるカレーには、まだ出会っていない。香りがきらきらしていながら、日本人の舌になじむ甘味があった。初めて観たアルフレッドビーチサンダルといいスカートといい、あの日は忘れがたい記憶がいくつも出来た。ビル風の吹きすさぶ真冬に授かった、ビーサンとスカートの記憶。
 記憶のかがやきとは裏腹に、今の私の胸は不安に騒いでいた。初めて自分でチケットを取ってライブを観に行った日のように。
気が付くと、そこそこの時間が経っていた。「モラージュ菖蒲」という停留所名が読み上げられ、私は反射的に外を見た。モラージュ菖蒲が大きな商業施設だということは分かったが、停留所からの角度では、建物の姿はよく見えなかった。

 服装や話し声から「クウワに行くのだろう」と見積もった人たちは、実際にみんな終点で降りた。住宅地へ切り込んでいくように歩くと、すぐに川沿いの道へ出る。お店が川沿いにあるのを何となく思い出した。歩を進めてすぐに、開場待ちであろう行列が見えた。  「いなかまちにおんがくがなりひびく」と銘打たれ、何十回と催されているクウワでのライブ。今日は傘野信(かさのまこと)と天川恭介(あまかわきょうすけ)のツーマンだった。  天川恭介は二十代半ばとまだ若いが、齢に似つかわしくない歌を書く。今でこそ数十人規模の会場でも精力的にライブをするが、あと何年かしたら、桁違いの所でワンマンをやるようになるはずだ。  傘野信は、確か六〇歳近い。細野晴臣の仕事を辿るうちにフォークに明るくなっていき、いつの間にか名前を覚えていた人。マルチプレイヤーで、様々なユニットを組んでいるほかサポート参加も多く、つとめて聴いている私でも活動の全容を把握できていない。生楽器と合唱の融合ユニット「天花粉」、若いメンバーとの歌ものバンド「オドラデク」、実験色の強い「特火点(トーチカ)」……。自分のバンドの今の名義は「傘野信と理事たち」だ。  列について間もなくして、入場が始まった。入ってすぐの所に物販コーナーが設けられている。そこで傘野さんと天川さんが談笑しているのが目に入って、息を呑む。思わず足を止めて、人の流れを滞らせてしまった。後ろの人にすいませんと謝りながら慌ててレジへ行き、予約の名前を告げてチャージを払った。  出演者に顔をしかと見られるほど近くではなく、出演者の姿の細部が見えないほど遠くではない位置を探す。それはいつもの倣いだったが、いつも通りの席でいいのかと思い直し、意を決して前から二番目の列に坐った。 「あ、いたいた」  顔を上げると、友人と、その夫の姿があった。ライブ会場で知り合った彼女とは、今や休日に二人で食事をする仲だが、旦那さんとは落ち着いて話したことがない。彼女たちが来ることはツイッターを見て知っていたので、突然顔を合わせても驚きはしない。簡単な挨拶をした。 「まあ、来るよね」  友人のその言葉には「とても良い対バンだよね」と、「あなたが来ないわけないよね」という二つの含意があった。私はそれを汲み取って、微妙に笑った。  二人は別の友達の車に便乗してきて、皆で並べる席を取ったようだった。ドリンクを頼みに行く二人を見送ると、私は上着を席に置き、以前来た時にはつぶさに見られなかった店内を見て回った。レジ横の焼き菓子たちも目を引いたが、季節の果物を使ったジャムが美味しそうだ。ぜひ買って帰ろう。傘野さんを聴き出したころ読んでいた本が書棚に見つかったのが、歓迎の声のようでうれしい。村上春樹、魚喃キリコ、阿部和重、高野文子。  椅子を多く入れたために、通常営業の時とは違ったレイアウトになっているが、窮屈とは感じない。古民家を改造した店舗の木の気配はほぼ例外なく好きだけれど、ここはかなり素敵だ。建具と調度品のあいだに境界線がない。音響機器もデザインと配置がスマートで、目立つほどに現代的だが、気にならない。 いよいよ人が入ってきたので、邪魔にならないよう席に戻ると、天川さんがサウンドチェックを始めた。白のコットンシャツとチノパンが眩しい。いつもTシャツを着ていることが多いのに。  天川さんは携帯電話で時間を確かめると、PA席に合図を送った。私も腕時計に目をやる。開場は少し押していたが、定刻通りの開演だった。 「天川恭介です、今日はよろしくお願いします」  挨拶に拍手が返される。それが鳴りやまぬうちに、彼は演奏を始めた。昔から一曲目に選ぶことの多い『カラス』、続けざまに『残菜』。ファーストアルバム以前の音源、自主制作のCD-Rの一曲目・二曲目だ。  張り詰めた歌声が、私たちを穿つ。ギターを弾く両手が目まぐるしく動き、繊細にも激しくも歌声を飾る。『カラス』も『残菜』も十九か二十歳の時の作品だと知った時は、その完成度に驚いたものだが、なぜか今日は若さを強く感じる。出たばかりのセカンドと比較してしまっているのか。それとも後に控える古強者の翳を、私はすでに見てしまっているのか?  絶賛されたファースト『milk』から僅か一年で発表されたセカンド『彼は誰』は、私たちの度肝を抜いた。ローファイ感を捨て去った高音質。韻律にこだわり、外来語まで排して日本語での詩作を徹底した歌詞。生で聴くたび進化を感じていた歌声の、完璧なパッケージング。どこをどう見ても失敗や後退が感じられない一枚だった。  今日のセットリストは、そんなセカンドの曲を中心としている。『鈴鳴る春』『小屋の水』『針を?んだら』、そしてPVが撮られた『邪魔者』。優しく美しいメロディに乗せて、爪はじきにされる人の虚勢を綴る、張り詰めた歌。初めてライブで聴いた時には、『ファイト!』とか『見せかけ社会』を知った中高生の頃みたいな気持ちにさせられた。  歌は鍛えられていくものだ。初めて披露された頃と、幾度も歌われた後で、歌の姿は変わる。『邪魔者』は歌われるほどに、その面を優しくしてゆき、深層は濃く澱ませていったことを、私は知っている。    僕はよこしま    誰もかれも閉じ込め上手    進んで泥をかぶっても    いつも邪魔者  いつにも増して気魄がこもっている。歌声で、会場全体が緊張していくのを肌で感じる。今、彼は自然体ではない。それがパフォーマンスに影響している。しかし、その影響が良いものか悪いものかは分からない。いつもより強く感じるエネルギーに、ただ音もなく震動するしかない。  私たちの緊張は空気に伝わり、梁や柱を震わせる。私がいつも彼を観る時そうであるように、川べりにぽつんと建ったこの建物も一個のやわらかい音叉になっていき、震えを虚空へ溶かしている。ここへ足しげく通っている人たちの、顔や名前やツイッターのアイコンがちらつく。あの人たちは、田舎町の開けた空間に、この震えが溶けていく切なさを知っているのだ。ああ、どうして私はここへ、池間由布子やGofishや麓健一を観に来なかったのか――感動の大波のせいで、集中がよそごとにまで及ぶ。  『邪魔者』を歌い終えると、万雷の拍手を丁寧に止めるようにして、天川さんは今日初めてのMCに入った。いつものように、静かな口調だった。 「ありがとうございます。今日は初めてのクウワ、傘野信さんとの初めての対バンで……とても嬉しいです。お客さんはもちろんなんですけど……傘野さんにも響くものがあればいいと思って、今日やっております。楽しんでいただけたら、幸いです」  私が力みを感じたのは、傘野さんへの意識の故だったのだろうか? 天川さんがMCの中で共演者に言及するのを、初めて聴いた。再び起こった拍手を受けて一礼した顔に、憑き物が落ちたような晴れやかさがあった。小さな頭、つやのある黒髪。屈託のない表情も相まって少年のように見える。 「じゃあ、あと二曲……」  彼は演奏を再開するべく、居ずまいを正した。弦を押さえる左手に視線を落とすと、前髪がひと房、あらかじめ決められていたかのように垂れた。彼の目と頬に、影の一線が美しく走り、ついでに私の心臓を貫いた。  カフェラテのまろやかさが私を鎮めている。天川さんのライブで消耗するのはいつものことだけれど、何だか今日はひときわ疲れた。ドリンクチケットを取り出した時、昂ぶった神経をお酒でほぐそうかとも思ったが、今日のことはしらふのまま感じたかった。しらふでなければ出来ない話や仕事があるように、アルコールと同時には消化したくない美しさがある。  ラテを飲み干す頃には、疲れが感想に変質し始めた。カップを店員さんに返して、感想をツイートする。まずはセットリスト、それから感情が赴くまま綴った感想。曲名の表記ミスに気を付けてセトリを打つのは、続く感想がヒートアップし過ぎないようにするための予防策だ。細密な記述は、帰り道に暇つぶしがてら、セトリを見返しながらゆっくり書く。  簡単にツイートするつもりが、息を詰めて書いてしまい、投稿を終えた瞬間、ため息が出た。大きいなあ、と自分でも思うため息だった。そういえば『トイレット』で、リストの『ため息』が使われていた。良い使い方だったし、演奏も良かったな。映画の細かい所は思い出せないけど……。文章を書くのに起こした力の余剰で、だらだらと妄想が続いた。  その時、椅子にかすかな衝撃を感じた。ほぼ同時に背後から、すいませんっ、と声がした。反射的に振り返ると、立っている男性と目が合った。彼は私に頭を下げながら、よりはっきり「すいません」と言った。椅子の間を歩いていて、足でもぶつけたのだろう。いえ、とだけ言って向き直ってから、一生懸命な「すいません」だったな、と思った。こういうとっさの時に、木原敏江のマンガの美形みたいな微笑みを添えられたらよいのだが。男性の顔に見覚えがある気がしたが、今日の組み合わせでは当然という気もする。
 そうこうしているうちに、傘野さんがのそのそとマイクの前へ歩いてきた。――天川恭介の後に、傘野信を観られるなんて! 天川さんが、ツイッターで今日への意気込みを熱く述べ、傘野さんのファンであることを公言して以来、私はこの時を待っていた。  私は二人の音楽を同じ引き出しに入れている。傘野さんは学生の頃から聴いてきた。詞にも音にも引用を多く使う人。面白さを感受するのに、知識や記憶がいかに重要か教えてくれた人。その学びが鑑賞を豊かにしてくれる時、私はいつも傘野さんに感謝した。そしてその感謝が並外れて大きく、今のところ最もあたらしく生まれたのが、天川さんを知った時だった。年下なのにどうしてもさん付けをしたくなるのは、傘野さんの翳を見ているせいも大きい。  私が勝手に並べて見ていた二人が、実際に並んで立ってくれる。妄想と親しい人には分かるだろう。想像で描いた絵と同じ景色が、この世のどこかに実在すると知った刹那――自分もこの世界の末梢なのだと疑いなく実感できたときの、この驚愕、この歓喜、この幸福。 「えー、では始めます」  傘野さんの声にBGMが止み、ゆるゆると拍手が起こった。いの一番に拍手せぬよう、拍手が狂騒じみないよう、やたら強く心がけた。 「ありがとうございます。……天川くん、素晴らしかったですね。共演は初めてでも、彼のライブは何回か観てまして。親子ほど歳が違うせいか、もう、いつ観ても眩しくてね。こんな地味な爺が続いていいのか、という感じなんですが」  客席からふつふつと笑いが起きたが、私には笑っている暇はなかった。傘野さんの歌はとてもやわらかいが、その声は歌の貌を作る前からやわらかで、いつも聴き惚れてしまう。 「まあ、だからといって、無理に派手にすればいいという訳でもありませんので、平常運転で参りたいと思います」  そう言ってからやっと、傘野さんはギターを持った。演奏を始める前のMC、イントロを弾きながらのチューニングという、何度も見てきたルーティーン。今日はまず、『千夜一夜』『サーカス』と、初期の曲が続けて歌われた。今もそうだが、初期の曲は特にブッキッシュだ。『千夜一夜』は言わずもがな稲垣足穂、『サーカス』も三島由紀夫の同名の短篇から着想を得ている。そうとは知らず、曲と先に出会い、それから三島を読んでその短篇に出会った時は驚いたものだ。    夜空吊る天幕    星をコインで買える    キャラメルの髪飾りを    僕もあしらおうか    ああ 逃げるなら    いのちを鞭で打て    脚でも心でもなく    いのちを鞭で打て  自然体という形容が空々しく思えるほど、衒いも力みもない、薫風のような低い歌声。声量や、音域の広さや、ピッチの安定を歌唱力と呼ぶなら、傘野さんの歌は上手とは言えない。しかし傘野さんのように、ガーゼのようにもシルクのようにも歌声を織れるシンガーを、私は知らない。  『鮭焼いて』『いるかのセオドア』『髪結い』など、ライブではおなじみの曲が続いた。曲によっては、発表時期に十年以上の隔たりがあることもざらだ。譜面を使わず、昔の歌と今の身体を統合していく様を、いつも奇跡と呼びたくなる。 どの曲の後にも、おざなりではない暖かな拍手が起きた。クウワの印象――これまでの「いなひび」出演者や、「いなひび」に通い詰めている人たちのイメージ――と結び付かないので、傘野さんが今夜どう受け入れられるか心配だったが、そんなものは杞憂だったようだ。  傘野さんのライブは、歌えば歌うほど、弾けば弾くほど、ボリュームとは無関係に静かになっていく感じがする。その点では、天川さんと傘野さんは対照的だ。天川さんの才気煥発とした歌が、こちらの集中力とテンションを否応なく引き上げるのに対して、傘野さんの歌はこちらのテンションを上下させない。集中を強いられるのではなく、集中させてもらっている、と感じる。冷静なままの私に、興奮した時のような彩度と解像度で物を見せてくれる。  今夜は突然、それまで意識にのぼらないでいた建具の木の香りをはっきりと嗅いだ。感覚が鋭くなっている気がする。今なら3キロ先で落ちた針の音も聴こえる、と思った矢先、『糸通し』という曲が歌われたので、少し笑った。その次は、比較的新しい『ボーラーハット』。ちょうど今みたいな季節に書いた曲、という短いMCが挿まれても、シームレスに曲が始まったかのように集中できたのは、興奮で我を忘れている部分が少ないためだろう。  しかし、その次に「天川くんのカバーをやります」と言われた時には、平静を保てなかった。トラディショナルとかは別として、傘野さんが若い人の曲をカバーしたことは、私が知る限り一度もない。しかもカバーされたのは、天川さんの楽曲の中でもひときわ攻撃的な『山がいつか動いて』だった。    なぜそこに留まって    旅を笑う    遠くを望む人を    気障だと笑う    山のように座って死ぬなら    人として歩け  傍観者の無関心を批判し、アクティヴになることを訴える歌だった。貪るように読んだ複数のリリース・インタビューの中で、天川さんはこの曲を「プロテスト・ソングというよりは、アジ演説みたいな曲」と自評していた。この曲には、文字通り打ちのめされた。彼の音楽を深く愉しみながら、彼が何をしようとしているかを――いや、彼が何かしようとしているということを、私は見極めようとしていないと気付かされたからだった。  原曲のような、肌を灼く絶唱ではない。傘野さん流の訥々とした調子で歌われる詞が、私の服を濡らさずに、骨だけを冷たく濡らす。  傘野さんは、メッセージ・ソングを書かない。そんな人がこの歌を選んだ意味を考えていると、次第に胸が苦しくなっていった。この曲を収め切れていない私の器に、傘野さんは、違うけれど同じものをどんどん注ぎ足してくる。傘野さんを見つめ続けることができず、天川さんを観ている時には気に留めなかった、傘野さんの背後にある窓へ目をそらした。日が落ち切った暗い窓。暗すぎて見えないけれど、あの向こうに、私たちがなぞってきた川がある。そして、その向こうにきっと、私の《山》がある。  この歌に克ちたいのか、それともこの歌を手に持って闘いたいのか。私はそれさえも判らないまま、再び傘野さんに視線を戻した。落ち着いた調べが続いていた。人々が発する魅了の気配が、煙草のけむりのように宙を踊っていた。私は手のひらで滝を受け止めようとするみたいに、じっと耳を傾け続けた。
 アンコールでは、二人の合奏を観ることが叶った。まず二人ともギターを弾いての、天川さんの『茄子紺の宵』、傘野さんの『魚のあそび』。ダブルアンコールは、本当に段取りを決めていなかったのだろう。短い打ち合わせの後、傘野さんがいきなり傍らのアップライト・ピアノを弾き出した。天川さんもマイクを使わずにギターを弾きながら歌っての、サイモン&ガーファンクルの『セシリア』。完コピと言ってよいデュエットだった。  閉演すると、足早に店を出る人が目立った。終バスの時間が迫っているのだ。確かにバス停まで歩く時間を考えると、もうお店を出ておいてもよい。お腹は空いていたし、以前来た時に食べた、地産野菜の惣菜プレートの記憶が蘇る。あの日食べた人参フライの鮮烈な甘さが後ろ髪を引く。今日のメニューに、あのプレートはない。この人入りでは、あの洒落た盛り付けを提供するのは難しいだろう。 ここで晩を食べていきたかったが、諦めよう。ジャムと併せて、次の楽しみにとっておこう。土日に誰か連れて、ランチを食べに来てもいい。あのおかずたち、特に人参フライは、ふだん一緒にご飯を食べるひと全員に食べさせたい。あれはもはや人参ではない。食べられる宝石かもしれない。  楽しみな計画のぬくもりが伝わらない、『山がいつか動いて』を聴いた時の冷たい震えが、私の中に残っていた。期待を超える感動を与えてくれた二人の音楽家は、熱いものだけでなく冷たいものまで私に施した。車で帰るのでまだお店に残る友達に笑顔で挨拶しても、冷たさはほどけなかった。  これをもたらすものこそが本物の歌だ、とは言わない。ただ、これも歌を聴く意味なのだと、バス停までの暗い道で心から思った。時に笑おう、時には血も流そう。笑顔か涙のどちらかで全ての想いを語れるわけではないように、私を愛撫するささやきも、私をおののかせる叫びも、歌なのだ。 バスの座席に座っても、一度も携帯を見ず、ずっと窓の外を見た。街灯が塗り潰しきれない暗闇と、傘野さんの背後に見た暗闇を、そこに重ねようとした。程なくして、遠くにとても大きな建物が見えた。あれがモラージュ菖蒲なのだろう。やはりショッピング・モールのようだ。すごく大きい。私と同じように帰る人で、バスはやや混んでいた。  私たちの受けたものはあの建物さえ満たす、と思った刹那、私の椅子に足をぶつけた人が、前の座席に坐っていることに気が付いた。横顔を見ていて、ああ、サンデードライバーズ再始動の時、エレベーターで乗り合わせた人だと思い出した。天川さんや傘野さんのライブで見かけるのは初めてだと思う。彼も私のように、笑顔でも泣き顔でもなかった。けれど無表情の下で、感動のこだまを大切に響かせていることが、何となく分かった。そりゃどんだけ感動してても、バスでまで泣いてたら危ないよなあ、と思ったが、涙が止まらなくて会場からなかなか出られなかったこと、私、何回かあるぞ、と省みた。  モラージュから帰る人たちが幾人かバスに乗り込んできて、車内にいるのが、クウワから来た人たちだけではなくなる。「薄まった」と感じた直後、違う、これが「家に帰る」ということなんだ、と思い直した。
久喜 cafe couwa 〒346-0105 埼玉県久喜市菖蒲町新堀483 http://cafecouwa.com/blog/
オオクマシュウ
野良小説家。埼玉在住、うお座のO型。でかいので、待ち合わせ場所として重宝されている。最初に買ったCDはミスチルの『I'LL BE』、最初に買ったレコードはア・トライブ・コールド・クエストの『Jazz(We've got)』とRUN DMCのベスト(たぶん)。

写真はライジングサン・ロックフェスティバル撤収時のひとコマ。物々交換を終えて村に帰る途中とかではない。

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