ネモト・ド・ショボーレ対談連載
TALKIN' REC TAPES #6ゲスト:松田“CHABE”岳二【前編】
SPECIAL[2016.09.14]

ネモト:紗羅ちゃんとかチエちゃんは、ロカビリーとか50年代の音楽が好きでっていうのは分かるんだけど、CHABEくんはいろんな音楽をやってきてるじゃない?今何でここにきたんだろうって。
CHABE:元々、ジャズとかソフトロックは好きだったから。僕らの年代って必ずオールディーズを通ってると思うんですよ。80年代初期にチェッカーズとか…
ネモト:ブームだったものね。歌謡ロカビリー的なものが流行ったり。Stray Catsがブレイクしてたり。
CHABE:オールディーズを中学とかで普通に聞いてたんですよね。『グローイング・アップ』とか『アメリカン・グラフィティ』とかの映画もあったし。Sex Pistolsを最初に好きになったのもEdward Cochranの『C’mon Everybody』やってたのがきっかけだったり、そういうのが好きだったんですよね。オールディーズがあったから、スカとかレゲエを普通に好きになっていくっていう、そういう感じが80年代にはあったんですよね。それで”渋谷系”の主要メンバーは大体同じ歳くらいだから、そういうティーンエイジャーの時代があって、しかも景気も良くて、そのまま90年代に突入して、みんなレコードを山程買うっていうところに繋がっていく。
ネモト:あの頃の89年から90年の空気感って凄く覚えていて。そこで分かれたね、バンドマンとDJと。俺は90年代初頭に今UFO CLUBをやってる北田くんとモッズバンドをやってて、原宿の北田君のアパートに居候していたんだけど、その頃、週末に代々木公園にDJブース持ち込んで、レゲエとかスカとか流してるイベントがあるって、服飾系の専門学校行っている友達に聞いて、何回か行ったイベントがあったんだけど、そこにCHABEくんもいたんだよね?
CHABE:「yoyogi friendship project」っていう、今HMVにいる長谷川賢司くんっていう同じ歳の子がやってたイベントで、火事になって中止になっちゃったんだけど(笑)。全部で3回あって、wack wack rhythm bandの前身バンドとかも出てて。
ネモト:結構無秩序な感じだったよね。
CHABE:あれ、凄かったよね。人が山程いて。まだレイブとかもない時だから。
ネモト:結構やばいことしてるような人もいるんだけど(笑)、でもめちゃくちゃ平和な。
CHABE:めちゃくちゃハッピーだったよね。今だとああいうのって深夜だと思うけど、あの頃って10時くらいに始まって4時くらいには終わってるんだよね。
ネモト:あの91年位の原宿の空気感はすごく印象的で。でも、自分はそこには行けないなって、疎外感も感じつつ。
CHABE:そっか、バンドカルチャー側というかね。ちょっとクラブっぽかったですよね。
ネモト:前にフミヤマウチさんとの対談でも話したけど、その頃ってライブハウスでもクラブでも服飾系の専門学校の子とかがイベントやって、300とか400とか呼んでた時代で、田舎もんの俺とは違うっていうコンプレックスも刺激されるし、憧れもあるしっていう。CHABEくんはその中にいた方だもんね。
CHABE:でも、まだまだ小僧だったから、憧れてる感じだったかもしれない。レコード買ったりするのが好きで下北のZOOとか遊びに行ってたんだけど、楽器が弾けなかったからDJやるのがいいなぁと思って、パーティー作ってっていうのが90年位。で、同時に20歳からレゲエのクルーに属してて、両方やってたんですよ。洋服着替えて行くみたいな(笑)。
ネモト:あの頃盛り上がってたもんね。代々木チョコレートシティとか。
CHABE:そうそう。ランキンタクシーさんの出る時のスピーカー運んだりするのを、YOU THE ROCKと俺が手伝うみたいな(笑)。毎週そこでスピーカー運んで、その後遊ばせてもらってっていう。
ネモト:その頃、一瞬だけデキシード・ザ・エモンズのはっつあんが代チョコで働いてたから、たまに遊びに行っててなんとなく雰囲気は知ってるんだよね。
CHABE:ライブハウスが夜中はクラブ化していくっていうね。
ネモト:そういうのが同時進行でいろんな街で起きてたんだよね。ライブハウスとクラブの垣根がなくなってきてた時期だった。