ネモト・ド・ショボーレ対談連載
TALKIN' REC TAPES #5ゲスト:フミヤマウチ【後編】
SPECIAL[2015.04.22]
ネモト:ヤマウチさんの中で渋谷系はいつからいつまでなんですか?
ヤマウチ:87年から95年の出来事だと思ってる。
ネモト:87年っていうのは?
ヤマウチ:まずそれが何かっていうと、87年に自分が北海道から横浜に来たのね。俺が自分の目で見たことがそこからだから。
ネモト:あぁー。やっぱり俺、そうゆう主観的価値観が入ることも必要だと思う。
ヤマウチ:自分が体験していない時代の話は紀元前みたいな感じ。でも87年の夏にツバキハウスがクローズしてて、そういう意味でも新宿/原宿の時代から渋谷の時代への転換期が87年っていうのは意外と合っていると思うよ。
ネモト:その頃はアシッドジャズとかレアグルーヴはなかった?
ヤマウチ:ヒップホップの流れでレアグルーヴはあったと思う。でも渋谷系の発生は『ATTACK OF...MUSHROOM PEOPLE』からだっていうのが自説。87年。ビッグバン的なのじゃなくてふわっとネオGSから始まったと思ってる。
ネモト:ワウワウ・ヒッピーズとか、後にロッテンハッツ、ヒックスヴィル、グレイト3になるメンバーのバンドとかも入ってるね。
ヤマウチ:これに参加している人たちと、小西康陽さんをはじめとするこれを聴いて衝撃を受けた人たち、それが渋谷系の最初だと思ってるんだよ。
ネモト:再発文化が作った音楽でもあるしね。
ヤマウチ:そうなの。完全にレコード文化。渋谷系ってくくりで好きに50枚レコード選んでって言われたら日本のレコード1枚も入れないで選ぶと思うよ。中古や再発、当時のZESTあたりに面出しされてたレコードだけで渋谷系の雰囲気ビンビンですよ。
ネモト:定義としての渋谷系じゃなくてムードとしての渋谷系っていうか。ただ音楽で定義づけていくだけだとものすごく狭くなっちゃうしね。
ヤマウチ:渋谷系ってね、実在した日本のバンドとかアーティストだけ出されるとちょっと違うなって思ってて。当時の再発レコードやオムニバスも入ってないと自分的には気持ち悪い。むしろ洋楽だけでOKってとこもあるのね、本当に。
ネモト:渋谷系って安易に音楽のジャンルって枠だけでくくってはいけないものな気がする。
ヤマウチ:そうなの。俺は『ATTACK OF...MUSHROOM PEOPLE』を最初にしたけど、人によっては例えば「DJゴングショー」が渋谷系の最初になるかもしれないし、他の出来事や人やレコードもあるだろうし、どれも間違いじゃないと思う。人それぞれのレコード屋、ライブハウス、クラブなどなど、実際に過ごしてきた場所だからね。だからね、その場にもいなかったような野郎にTwitterなんかでさも見てきたかのように「渋谷系」っていうワードをとんちんかんに放り込まれるとスイッチ入っちゃう。「なにーーー!?!?!?」ってなっちゃう。
全員:(笑)。
ヤマウチ:燃え上がって見境なくなっちゃうから、気をつけるようにはしてるんだけど。
ネモト:最後はどこまででしたっけ?
ヤマウチ:95年。なぜならサニーデイ・サービスの『若者たち』が出たから。その時点で渋谷系は終了。自説ですが。
ネモト:そこまで入るならギリギリ俺も見てるな。まだメンバーの人数多い頃。
ヤマウチ:メンバーにダンサーいる頃でしょ?
ネモト:うん、多分『コズミック・ヒッピー ep』出た後くらいで、CD聴いていいなと思って、新井くんの後輩だって言うから見に行ったら、本当、最悪で(笑)。
ヤマウチ:最悪って(笑)。
ネモト:演奏ぼろぼろだし何やってるか分かんないし(笑)。でもその後、自分がバンドもやってない時期に、N.G.THREEの最後の録音に「SMALL FACESのカバーやるからネモトさんギターで参加して下さい」って呼ばれてTHE EVIL HOODOOのウサミくんと参加したんだけど、その時のプロデューサーが曽我部くんで、そこから仲良くなった。で、その頃俺はQueで働いてて。
ヤマウチ:あぁそうだ!ネモトくん最初期のClub Queのスタッフだったよね。アベジュリーくん(デキシード・ザ・エモンズ)も働いてたよね。
ネモト:その頃のオールナイトイベントはレコード屋さんのイベントとか多くて、それがまたすごく良くて。
ヤマウチ:俺が「VIVA!YOUNG」のDJやってた頃だよね?
ネモト:あぁ!そうだ!
ヤマウチ:そうそう、そこでよく話すようになったんだ!
ネモト:Queにいる頃にサニーデイのワンマンをブッキングしたりした。曽我部くんと田中くんが酔っぱらって来て、ワンマンやりたいとか言ってて、ノリでスケジュール見て、ここ空いてるよって押さえて。タイトルもその場のノリで、「夏だった '97」って決めて(笑)
ヤマウチ:ユルい(笑)。まだ世間的にはQueがどんなハコも分かんなくて、メジャーがそんな重要視してなかった頃だね。ゆらゆら帝国がやってたのもその頃だよね。
ネモト:ゆら帝とセドリックスがやったり、小島麻由美さん見たのもQueだったと思う。
ヤマウチ:カオスだったね。その後にはメジャー会社も「クアトロ前のワンクッションでQueいいんじゃね?」みたいな感じになったんだと思うけど。
ネモト:大概のバンドをQueで見てて。POLYSICSもズボンズもNUMBER GIRLも初めて見たのはQueだった。ビークル(BEAT CRUSADERS)もそうだね。