ネモト・ド・ショボーレ対談連載
TALKIN' REC TAPES #1ゲスト:渡辺大知(黒猫チェルシー)
SPECIAL[2014.04.02]
ネモト:『ワルツ』って映画はそれが出来てると思うよ。音楽も映画も作ってるのが大知君っていうことで矛盾もないし。
渡辺:矛盾してた方が人間らしかったりもしますけどね(笑)。そこで凄い葛藤してた時期もあったけど、最近気づいたのは、バンドだけやっていてかっこいいバンドマンっていっぱいいるし、そういう奴らを見てかっこいいなって思うんですけど、自分にとってはそっちの方が不自然っていうか、僕はそういう奴にはなれないなって。映画監督が映画撮ってるっていう方が、そりゃかっこいいわって思うし憧れるんだけど、僕は音楽と映画どっちもやって、やっと自然になれる。僕がバンドだけでやっていけないなって思いますもん。身が持たない。
ネモト:それ凄いわかる!俺もそうだもん。バンドやりながらレーベルやって、多分どっちか一つだったら成立しなかった。レーベルでリリースしているバンドを並べていった時に何かが表現されてればいいなって思ったり、その時の自分の考えが表現されていればいいなって思ったり色々あるんだけど、でもそれだけじゃ満足出来ない。多分自分の欲求の問題だと思う。それだけで表現出来る才能が自分にないから、もしかしたら人から見たら中途半端かもしれないけど、その中途半端さが個性だと思った。だから多分大知君も、人から「映画なの?音楽なの?どっちの人なの?」って言われたりすると思うけど、自分のその中途半端さを個性だと思った方がいいよ。
渡辺:めっちゃ有り難い言葉を頂きました。
ネモト:俺もバンドなのかレーベルなのか、どっちつかずだなって悩んだ時期があったんだけど。でも誰に何を言われたわけでもなく、ある瞬間ハッとして。他にやってる人いないなって、他の人があんまり出来ないことをやっているって思った時に、それが個性なのかな?って。どっちもないがしろにしてるつもりもないし、どっちも必死にやるわけじゃん。そうしたらそれは個性に繋がっていく。大知君も繋がってるじゃん。映画も音楽も自分の中でイコールになる瞬間があるじゃん。
渡辺:そうですね。やっぱ強がってるわけじゃないですけど、自分にしか出来ないこととか、不確かだけど自分らしいこととかやっていたいし、自分らしい人間になるべきだと思うんです。僕は役者もやりたいですからね。押さえ込む方が不自然っていうか無理しちゃってる。バンドマンだからバンドしかやっちゃ駄目だって、そういう時期もあったんです。役者やりたい気持ちは諦めるべきだって押さえ込もうとしてたんですけど、そっちの方がストレスなんですよ。本当にかっこいい人って無理してないし、それがその人らしいってことのような気がしたんです。だからそのために頑張らないと、やるからには自分の場所みたいなのを確立させないとなと思いますね。
ネモト:音楽のスタッフがいて映画のスタッフがいて、音楽のこと役者のことを凄い評価してくれる人がいて、そうなると各場所で大知君を評価してる人達はそこで頑張って欲しいってなるんだよね。だけどそれに応えようとするとバランスが崩れちゃう。そこは大知君もそうだけどスタッフも運だよね。その時にどういうタイミングでそれが出来るかとか、どういう気持ちでテンションが盛り上がってるとか、そういうのって個人の利害でコントロール出来ないものだから。その時どういう状況で何が出来るかってことを生かしていくしかないよね。音楽でも映画でもやりたいと思った時にそれが出来る環境があったとしたら、それはそれをやれってことだと思う。
渡辺:確かに各分野でこれやって欲しいっていうのは少なからずあると思うんですけど、決めるのは自分っていうのさえ守っていれば運もついてくる気がしますよね。人に言われて、じゃあそっちってなってくると、運を味方につけれない気がする。
ネモト:人に言われて自分の中で化学変化が起きれば別だけどね。外からの刺激と中からの刺激と色々あると思うんだよね。何かをしようとする時って。その時の自分の置かれた環境とタイミングとかによるよね。
●渡辺さんは昔から音楽と映画どちらもやりたいって思っていたんですか?
渡辺:僕の場合、母親の影響で小さい頃から舞台を観まくってたんですよ。幼稚園の頃から小劇団とか近所の小学校に来た劇団を見に行ったり、舞台だけじゃなくてインスタレーションとかも見に行ったり、劇団四季とか狂言、歌舞伎、能とか、何でも。で、中学までは舞台か映画の脚本家になって、自分が書いた本には絶対出るっていう人になりたかったんですよね。宮藤(官九郎)さんみたいな。
ネモト:バンドより先にそっちなんだね。
渡辺:小学校の時の文集とか全部”役者になる”か”脚本家になる”って書いてましたね。
ネモト:そういう意味では『色即ぜねれいしょん』に出たのも自然なことだったんだね。
渡辺:あぁそうですね。だから悩まなかったですね。バンドメンバーも元々映画やりたいって知ってたから。オーディションもみんなで行きましたからね(笑)。むしろバンド組んで初ライブの打ち上げの時に、「いやぁ面白かったね。次はこのメンバーで映画撮ろうぜ」なんて話してました。俺が監督して、カメラ据え置きにして、俺も入って4人で演技するみたいのをやろうって話してて。だからあんまりバンドに固執してなかったですね。黒猫のメンバーでいるのが楽しかったから。新作のPV(『サニー』/『息子(Making of サニー)』)は自分で監督しました。3本位撮ったろうかなって思ってて。『サニー』はシンプルなライブシーンを撮って、『息子(Making of サニー)』はそれのメイキングみたいなPVに仕上がりました。
ネモト:黒猫のメンバーは4人ともキャラが立ってるから面白そうだよね。
渡辺:そうっすね。アホなこと好きなんですよね。ネモトさんともCD出すからとかじゃなくて面白いことやりたい。
ネモト:去年から大知君のソロアルバム作りたいって言ってて。それって大知君が監督でPV作ったりとかそういうことも想定してたり。今の大知君を記録しておきたいんだよね。
渡辺:昨日THEラブ人間の金田さんとライブが一緒だったんですけど、「一緒に弾き語りツアー回ろう」って話してて。初めて俺の弾き語りを見てくれて、この感じなら一緒に回るの面白いかもと思ってくれたみたいで。それこそ移動費とか自腹でもいいから、修行のためにももっと弾き語りやりたいなって。それをまた映像で撮って記録してドキュメンタリーにしたい。そうやって繋げていきたいんですよ。
ネモト:今撮っている長編映画はどんな話なの?
渡辺:整備工場が舞台の話なんです。主演は僕の大好きな役者さんに頼んで、最初は自分の姉貴をモデルにと思って書き始めたんですけど、行き詰まって。やっぱり女の気持ちはわからないと思って(笑)。
全員:(笑)
渡辺:これはどんだけ加筆してもダメだと思って。だからそのキャラクターは残して主人公は男にしようと。最初は自分と同じ位の年齢の設定にしてたんですけど、ありきたりの話にしかならなくて。だから主役をおっさんにして、元々やりたかった土着感とか民族性、人間味とかそういうものを出したくて。自分は今東京に出て音楽やってるけど、ずっと地元に留まっておっさんになったらどうなるんだろうかって発想から、田舎の整備工場で働いてる15年後の自分と、もう一人相棒の整備士役で俺とタメの奴も出して、未来の自分と今の自分が仲良く話してるっていう感じにしました。二人ともお客さんでやって来た女の子を好きになっちゃって、車が直るまでの間にいい感じになれないかなって思うんだけど…っていう話ですね。学生の自主映画って自分と同じ環境の目線で作品を作る人が多いんですよ。大学とか高校生の話が多くて。
ネモト:自分の経験してる部分でしか撮れないんだ。
渡辺:そう。でもそれって自分の想像力で上回れることだと思うから。主人公が36歳設定なんですけど、36歳になったことないからわかんないけど、今の自分や高校生の言葉を言わせた方がおもろいっていうか、新しい人間像が出来た気がするんですよ。
ネモト:過去の自分と今の自分と未来の自分と想定して、物語作るって面白いね。
渡辺:初めて自分でちゃんと映画撮るってなったから、自分の思想を反映させたもの、これを観れば渡辺大知がわかるってくらいのものにしたかったんです。人に頼まれてやっているわけじゃないから、完全に俺の世界にしようと思って。でも実際登場人物、全員俺みたいになって。
全員:(笑)
渡辺:俺の中にいる5人位が全員出てくる感じです(笑)。
ネモト:DECKRECでリリースしてる人で言うと、倉内太を一番最初にいいって言ってくれたの大知君だったんだよね。まだ配信前の音源をうちで聴いてて「誰ですか?」って最初に反応したのが大知君だった。
渡辺:本当好きですね。尊敬します。倉内君いないから言えちゃうけど、ああいうようなことをやりたいって思ってる人って多いと思うんですよ。友部(正人)さんみたいなマインドとか。でもそれを出来ちゃってる人って初めて見た。自分も友部さんとか真島昌利さんの感じとかで歌いたいとか思うけど出来ねぇなって。あんな言葉出せない。倉内君は自分の言葉で新しくやれちゃってる。倉内君の漫画も面白かったですね。何回も読みました。
ネモト:倉内君も表現が音楽だけの人じゃないからね。
渡辺:若い奴らって昔より情報量が多いから、音楽も映画も時間さえあれば聴いたり見たり出来ちゃうし、若い人で詳しい奴なんていっぱいいるんですよ。やれるんだったらどんどんやった方がいい。
ネモト:詳しいんじゃなくてわかってるかなんだよね。データとして入れてくだけじゃなくて、それを見たり聴いたりして起こる化学変化が重要だから。知識として入れていくのはお金と時間さえあれば誰にでも出来るから、それをどう自分の表現にしていくかが大事だよね。
渡辺:ツイッターとかFacebookがあることは良いことだとも思うんだけど、ちょっと危ないのは誰でも表現者になれるっていう錯覚もあって、分かった気になっちゃう。そうじゃねぇだろって思うことがあっても、気づかずに何でも言えちゃうから。
ネモト:自意識のストッパーが外れちゃってるんだろうね。
渡辺:本当の表現ってもっと繊細。人前で何かを言うって凄く大事なことだから。
ネモト:ただ垂れ流していくのって表現じゃねぇなって思うよね。そういうものを見たいんじゃない、俺は。
渡辺:自由ってそういうことじゃないなって。
ネモト:不自由だから自由になりたいと思うし、何でもありの自由って嬉しくねぇなっていうか、有り難くないよね(笑)。
渡辺:(笑)。最近ロックとかやばいことをやるっていうのが一般化してて、普通にその辺の可愛い女の子が「ロック好きっす」みたいな感じになってて、今までマイノリティだったのが受け入れられてるっていうか、「俺らはこれでやってるんだよ、文句あっか」みたいなことが言えなくなってる。「俺らこんなことやってんだよ」って言ったら「いいっすね、かっこいいっすね」「あれ?」みたいな(笑)。
全員:(笑)
ネモト:情報がもの凄くあるから、そういうものが世の中にあるってことがわかっちゃってるんだよね。
渡辺:そう。みんなそこに驚かないし「そっち系ね」みたいな。ロックやってるのにモテる奴がいるっていう。モテないからやってるわけじゃないけど、そのパワーって大事だと思うんですよ。「負けねぇ!」みたいな。「世の中にもの申してやるぞ」って力って凄い果てしなくあると思ってるんですけど、そのパワーがあんまり…
ネモト:簡単に受け入れられたら肩すかしっていうかね。
渡辺:そうなんですよ。「俺はこれで物申すんだ」って感じでも「知ってますOKです!」みたいに来られると安心しちゃう。
ネモト:上手く行かないと行かないなりにもの凄い溜まっていったり、自意識が崩壊したりあるけど、何でも受け入れられると同じように駄目になっていくよね。自分の中の正解が分かんなくなっちゃうよね。むしろ押さえ込まれたことで自分の中で確信持てたり。
渡辺:「人には分かってもらえないかもしれないけど自分にとってはこれが正しくて大事で、そのために頑張ってる」みたいなことが受け入れられちゃうと…
ネモト:「これって正しいの?」ってなっちゃうよね。だから意外と否定されることって大切な気がするんだよ。雑誌もレビューもインタビューも何でも批判されない。そりゃそうだよね、広告代払ってるしみたいな感じが、めちゃくちゃ嫌で。
全員:(笑)
ネモト:ツイッターでも何でもそうだけど、批判したら返ってくるって覚悟があればいい。批判したことに反論する権利もあるし批判する権利もあるし、でもそれが両方なくなってて。もちろん批判されたら頭来るし言い返したくなる。それでいいんだよね。
渡辺:そうなんです。ボロクソ言われて全然構わないですからね。だって俺はこれがいいと思ってやってるから。ボロクソ言うことがかっこ悪いとか申し訳ないとかって感じありますよね。でも俺はネットとかでコソコソ言うよりは、出来るなら面と向かって言って欲しいですね。
ネモト:でも例えばツイッターとか全世界の人が見れるじゃん。それは自分に返ってくるって覚悟はあるから、リスクを負って言うのはいいと思う。
渡辺:そこは使い方ですね。責任があるかどうか。
ネモト:その人に届けばいいと思って言うのは良いよね。今大体届いちゃうしね。逆に本当に好きなものがあって届けと思っていれば届けられる。憧れてる人とか好きな人がツイッターとかやっていれば、話しかけたり出来ちゃうからね。
渡辺:凄いことですよね。