横沢俊一郎『ハイジ』インタビュー
INTERVIEW[2018.07.31]
もっとみんな本当のことを言ってこうよ、その方が絶対面白いよって

夢のように不穏で、それでもずっと聴いていたくなるような多重録音のサウンド。
抵抗させてくれないまま勝手に心に刺さってくる歌詞、甘い声。
マニアックとポップ、屈折と直情、喜びと哀しみ、思い出と未来、
どれも全く同時に歌ってしまう新進気鋭のシンガーソングライター・横沢俊一郎。
初の全国流通盤となる、ファーストアルバムにして快作『ハイジ』を発表した彼に、話を聴いた。
――まず原体験というか音楽遍歴についてお訊きしますが、何で音楽にハマッたんでしょうか?

B’zです、バリバリB’zです。執着的に好きになるんですよ。稲葉みたいな声を出したいから、テレコ買って歌を録って「全然違う……」と思いながらハイトーンボイスの練習とかして。録音しては聴いてを繰り返し……。

――音楽をやる側に回る転機とか、キッカケはあったんでしょうか?

高校の時、宅録してる同級生がいたんですよ。見た目ディアハンターのボーカルみたいなやつで。そいつが高校生のくせにSONARを持ってたんですよ。俺が「B’z好き」「こういう曲作りたい」って言ったら「一緒にやろう」ってなって。その時ピアノは多少弾けたんですけど、コードも何も知らないから、俺が「こういうメロディで」って話してそいつがコードを当てて、それで何曲か作ったりB’zのコピーやったり。でも……今と関係あるようでないですね。最初の経験というか、「自分にも作れるかも」「自分でもやりたい」という感覚はそこで出来たんでしょうけど。昔過ぎて覚えてないですね(笑)。

俺、結構(テレビ東京『ゴッドタン』の)「マジ歌」って好きなんですけど。最近あんまり観てないですけど、マジ歌っていう感覚そのものは90年代の音楽とかと近いものがあって。オザケンの新しい歌(『アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)』)、あれってマジ歌じゃないですか。

――内容がすごく個人的な……。

そう、あれってマジ歌だと思うんですよ。ていうかフリッパーズの頃から結構マジ歌だったと思うし、(忌野)清志郎なんかマジ歌しかないと思うし、フィッシュマンズもそうだと思うし。

――横沢さんの歌は確かに「マジ歌」という感じはありますね。きっと誰かのことをまっすぐに見て、目に映ったことを書いてるんだろうという感じがします。

そうなってたらいいなと思います。



――『ハイジ』を一枚通して聴いて、制作期間の違いが気になりました。通底しているものは感じるんですけど、ボーカルのエフェクトが明らかに違ったりして。

そうですね、違います。下手したら3年以上違うと思います。最新の曲が『ハイロー』で。あれはアルバム制作中に出来たんです。だから当然新しいんですけど、他も音を入れ換えたり、ボーカル録り直したりしたものもあるので。一番古いのが多分『春へ』です。

――『春へ』は、どう録られたのか気になる人がたくさんいると思います。曲が始まってすぐに「飲んでんのに」という喋り声が入っていますが、あれは横沢さんですか、別の方ですか?

あれはたぶん、サポートの白石(悠)くんです。ボイスメモの良い所っていうか、けっこう誰の声か分かんなくなるんですよ。

――あれが横沢さんの声に聴こえたので、曲を流しながら、横沢さん本人を含む皆で飲み会か何かしているのを録音したものなのかと思いました。

あの場で歌ってます。そのそばで、皆が飲んでるという。

――歌よりも、皆のお喋りが主であるような、面白い曲でした。

ああ、そう思ってもらえたならラッキーです。コーラスも白石くんがやってくれてるんですけど、友達から「あの曲すごい好きなんだけど、コーラスの人の声が、どうしても不細工な人が調子乗ってるような声に聞こえる」「イメージが損なわれるから、コーラスの人の顔写真を見せてくれ」というメールが来て(笑)。別に不細工でもいいじゃんって思うんですけど。
あの録音方法とか環境自体、嫌悪感を持つ人も、エモーショナルな感情を持つ人も、ただ「何か屋外でやってんなー」と思う人もいると思うんですけど、どの気持ちも分かりますよね。だから悩んだんですよね、どうするか。トラックを作ったバージョンも一応あるんですよ、それもSoundcloudに上がってるんですけど。……何であっちをアルバムに入れたんだっけ。アルバムを作ってから間が空いたのもあるし、作ってからかなり経ってる曲もあるので、今「何でだっけ?」って一番曖昧になってて。アルバム作った後、放心状態というかデクノボウになってたんです。ここ二週間ぐらいで、やっと調子を取り戻してきたんですけど。
まあ、色んな意味があるといえばある曲なんですよね。

――あの親密な感じの集まりでしか出ない空気は、含まれていると思います。

それに対する嫌悪感みたいなものもあるんですよ。でも、引きこもり気質な自分が、外に出てああいうことをやってることへの感動というか。油断すると閉じこもっちゃうので。自分の曲を好きだっていうような人に……チャラいですよ、こういうことしますよ、っていう宣言とか、それを受け入れてくれ、っていう気持ちでもある。

――ずっと「そこ」にいたい、ではない感じがします。

「ずっとそこにいられないだろう」みたいなのは、いつもあるかもしれないですね。でも、いたいし、「いられるかも」とも思うし、その時には「いられる」って思ってるんですよね。



――先日のHOMEでのライブの時、『ハイロー』について「普通の声じゃ歌えない」と言ってましたが、ボーカルにあそこまでエフェクトをかける……聴く人によっては過剰とも取れるぐらいにエフェクトをかけるというのは、「マジ歌」すぎるから一枚噛ませたい、みたいな意識があるんでしょうか。

やっぱり何か……俺は、キモいのはあんまり好きじゃなくて。基本的には、キモいことをする時にそれをキレイに見せたいみたいな、自撮り加工みたいな感覚はありますね。自撮りをそのまま見せたい時と、加工して見せたい時と両方あるんですけど。エフェクトに関してはまあやっぱり、自撮り加工というか、お化粧のような感覚はあります。マジ歌すぎるから、ってわけではないですけど。

――このまま人前に出すのはちょっと、という。

っていうのもあるし、それをやること自体がイメージ通りっていうこともあるというか。それって全部に言えることで。何でこのギターの音使うの、何でこのメロディにするの、って。全部デッドな音で、何もエフェクトをかけずにそのままやるのが真実だ、って気持ちは分からなくもないんですけど。
誰かに「好きだ」って言う時に、自分の気持ちを、自分が思ってる通りに相手に伝えるにはどうしたらいいんだ、みたいな。言わない方がむしろ良い時だってあるし。

――サポートギターの白石悠さん。クレジットを見ると、デモの時からあの方がかなり制作に大きく関わっているというか、ライブでもウェイトが大きいというか、重要なメンバーなのかなという風に見えたのですが。

という風には、あんまり言いたくないですけど、メンバーじゃないし。初期というか、最初に音源を作っていて自分の曲をライブでやりたいなと思った時から都合よくずっといてくれたし……あの人の曲、好きだし良いなと思うし、2曲ぐらい白石くんの曲を録音したりしたんですけど、やっぱり楽しいし。

――白石さんを含むサポートギタリストのお二人に、生で観るとすごく存在感があって。あれだけ歌の世界観が独特なのに、どっちがソロを弾いてもその人が前に出た感じがしないというか、良い意味でその人の個性よりもその曲ならではのプレイをしてる、という印象がありました。音色とかフレーズに対するオーダーは、かなり横沢さんからしてるんですか?

僕ワガママなんで、めっちゃくちゃしてますね。エフェクターの指定とかもするし。というか、自分のやりたいことより、曲が上に来るのって、当たり前のことじゃないですか。
何をやりたいかっていうと、いい曲がやりたい。完璧なものがやりたいって考えた時に、曲を損なうようなことをする意味が分からないんですよ。そこを損なうって思ってないとしたら、それは単純に、阿呆じゃないですか。二人がどうやっても曲を損なってない、と思ってもらえたなら、こっちは成功です。別に意図してなくてもはみ出してしまうことはいくらでもあるわけで。上手くいってたとしたら、一番いいんじゃないですかね。例えば、ドラムがスネアだけを叩き続けるって役割があったとしたら、それを全うすること自体が一番最高じゃないですか。それで「こんなことやりたくねー」って思うような人は……うーん。

――そのスネアだけの演奏が、その曲に必要であれば。

そうですね。